Interview & Report

榎原 大知 Daichi Enohara

榎原 大知 Daichi Enohara 「Nyte(ナイト)」デザイナー

Istituto Marangoni Scholarship – Supported by THE FASHION POST, Tokyo vol.1

2000年 15歳で市村萬次郎氏に師事。その後、歌舞伎俳優として活動。
2006年 「Night」を発表し、ファッションデザイナーとしてデビュー。
2007年 中目黒のセレクトショップにてレディスウエアの取り扱い開始。
2009年 東京の若手クリエイターを牽引するセレクトショップ「XANADU TOKYO」にて展開。
2010年 ブランド名を「Nyte」と改め合同展示会「CEMENT」に参加。
10月 パリで開催された経済産業省主催の展示商談会「tokyoeye」にて、東京を代表する次世代のファッションデザイナーとして参加。
10月 DIANE PERNET主催による国際短編映像祭「ASVOFF」出展作品、半沢健作「Fantasmagorie2011」に衣装デザイナーとして参加。
2013年 Mercedes-Benz Fashion Week TOKYO 2013-14 A/W のキービジュアルに衣装提供。
2014年 3月 次世代を担うクリエイターの代表として選出され、MBFWT 2014-15 A/W会場にて開催されたゲリラショー「HAPPENING」に参加。
    
米『Harper’s Bazaar』誌のCarine Roitfeld氏をはじめ、スタイリストや業界関係者の間に「Nyte」のファンやコレクターも多い。現在、「Nyte」のレディス&メンズウエアの国内での展開をはじめ、様々な媒体やアーティストへの衣装提供など活動の場を拡げている。

イタリア・ミラノの老舗ファッション専門学校「Istituto Marangoni(イスティテュート・マランゴーニ)」、ファッションライフスタイル・ジャーナル「THE FASHION POST」、日本ファッション・ウィーク推進機構(JFWO)が手を組み、若手デザイナーの育成とバックアップを目的としたプロジェクト「Istituto Marangoni Scholarship – Supported by THE FASHION POST, Tokyo」を立ち上げた。同校で行われる1ヶ月間のスペシャルプログラムを受講するチャンスを与えられるこのプロジェクトにおいて、第一回目となる今回選出されたのは、東京を拠点に活動するファッションブランド「Nyte」の榎原大知氏。元歌舞伎俳優という異色の経歴を持つ榎原氏に、ブランドの背景やパリ校での経験などを伺った。

 

榎原さんは歌舞伎役者をされていたそうですが、歌舞伎の道に進まれた経緯を教えて下さい。

僕の祖父が油絵を趣味にしていて、美術品のコレクターでした。芸術が身近にある環境で育ったこともあり自分は漠然と何か表現をしたいという想いがありました。中学を卒業する頃には、進学して美術を学ぼうと考えていたのですが、表現する事に於いて学ぶ必要があるのか、とふと疑問に思ったんです。自分自身を表現するにはもう頭の中にあるものを出していくべきではないのか、方法や技術はその過程で学んでいけば良いのではと考えました。

それですぐに仕事ができる道に進みたくなったんです。僕は5歳の頃から日本舞踊をお稽古していて、『演劇界』という伝統芸能等の情報誌をずっと読んでいたのですが、そこで歌舞伎俳優の市村萬次郎さんが弟子を募っていてご連絡差し上げた事をきっかけに歌舞伎の世界に入りました。

 

 

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Nyte 2014-15 A/Wルック画像

そこからなぜ、ファッションデザイナーに転向したのですか。

歌舞伎では主に女形だったこともあり、女性の動きや考え方というものを常に観察していました。師匠が海外公演が多かったこともあり、他国の文化や女性を知る事ができました。他国の女性との違いを考えた時に、日本の女性はどうしてありのままの美しさを覆い隠してしまうような服装や立ち居振る舞いをするのだろうと感じたんです。歌舞伎では、衣装の形や色彩、着方、ふるまいのすべてに理由があって、同時に約束事も多く自由が殆どない世界でもありました。それでも個性は滲み出てくるものだと感じていました。一方で、西洋由来の洋服に関して、当然ですが歴史や裏付けというものが日本にはなく、日本の女性は自分を引き出せない物を選んでしまっているのか、個性を覆い隠してしまう物しか無いのか?と端から見ていて感じたんです。日本には独自の被服の歴史、文化があり、元々にある被服の発想から作り出せるのでは無いか、それにはまず洋服を知る必要がある。そう考えたのが、ファッションに興味を持ったきっかけです。

 

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Nyte 2014-15 A/Wルック画像

それまでファッションには興味はなかったのですか。

ファッションのことは何も知りませんでした(笑)。歌舞伎の世界にいた7年間はほぼ和服でしたし、ファッション誌を見たことも無かったので単純にファッションの世界というものを知りたいという想いもありました。うちのモデリストは元々文化服装学院の学生で、10年くらい前から知り合いなのですが、当時彼女は和装に対して関心があって、僕は洋服興味があったのでたまに会ってファッションの話をするようになり、やがて彼女の知り合いの小さなお店に自分たちがつくった物を少しずつ置かせてもらうようになりました。そうした時期が2年ほど続き、「XANADU TOKYO(ザナドゥトウキョウ)」というセレクトショップのオープンにあたり、型数を増やしてコレクションを展開しました。

 

ブランド立ち上げ当初から明確なコンセプトはあったのですか。

現代の和装をつくりたいという思いはありました。ブランド名は新しい日本の夜をつくり出すという考えに由来しています。日本は江戸時代まで日が暮れてから外に出掛けるということがほとんどなく、夜を楽しむ文化が一般的ではなかったんですね。つまり、夜の装いは長い間なかったわけです。現代の和装をつくるということは、新しい日本の夜の文化をつくるということにもつながるのではないかと考えました。ファッションに関しては、どうしても日本はパリなど西洋の後追いという位置付けになりがちですが、日本には確実に被服の歴史もあったわけですよね。9月にパリに行った時も強く感じた事なのですが、体型や被服に対しての考え方もまったく違うので、わざわざ西洋の標準に合わせるのではなく、どこにも真似できない日本の被服を発信していく必要があると思っています。

 

 

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イスティテュート・マランゴーニ  パリ校を背景に

パリのお話が出ましたが、9月から1ヶ月間参加されていたイスティテュート・マランゴーニのスペシャルプログラムのお話も聞かせてください。

僕は中学校を卒業して、すぐに歌舞伎の世界に入ったので、最初に話を持ちかけられた時に素直に「今なら学校に行ってみたい」と感じました。マランゴーニのミラノ・パリ・ロンドンの3校舎から、自分で行きたい場所を選べるということだったのですが、以前『フレンチ・ヴォーグ』元編集長のカリーヌ・ロワトフェルドさんに、あるパーティで僕の作品を見て非常に気に入って頂きプレゼントしたという経緯があり彼女に会いに行きたいなと想いパリを選びました。勿論モードの発信地であるパリで学びたいなという気持ちが一番大きかったです。

 

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上:マランゴーニでの学生生活
下:卒業証書

マランゴーニではどんなコースを受講されたのですか。

今回はデザインコースではなく、ファッションイメージ&スタイリングコースを受講し、内容としてはファッションの歴史や、ブランドのビジュアルの打ち出し方などについての講義が主でした。スタイリストやエディターから未経験者まで16名ほどのクラスで、アメリカ、メキシコ、スペイン、ブラジル、サウジアラビアなど様々な国の受講者がいました。

 

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課題作品は3、4名のグループに分かれて制作。
榎原さんのグループのテーマは「80年代/HIV」。
黒・赤・白で、芸者をイメージさせる色使いに。

講義は何語で行われるのですか。

英語です。僕は英語ができないのですが、人間は何かを強いられるとなんとかするものですね(笑)。一番仲の良いクラスメイトに、あまり英語が話せないということを事前に伝えていたので、色々サポートしてくれました。また、自分たちでスタイリングから撮影、誌面(架空の媒体)への落とし込みまでをする課題があったので、細かなニュアンスを伝える事がとても大変でした。

 

 

海外の環境で一定期間ファッションについて学ぶということについては、どんな印象を受けましたか。

技術的な部分では無く、実際に海外に行くと、まったく想像していなかったことを見たり、学んだりできるので、非常に良い経験になると感じました。

何よりも良かったのは、それぞれの国によって洋服に対する考え方が全く違うということを間近で経験できたことでした。

例えば、西洋の人々は物の作り、デザインから先に見ますが、一方で全てでは無いけれども日本の場合は値段と素材から洋服を見るところがあって、そこにはやはり決定的な違いがあるなと感じました。また職種の線引きが意外にもはっきりしている印象も残りました。

 

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マランゴーニでの学生生活

パリのファッション・ウィークには行かれましたか。

ショーには行きませんでした。僕はパリでも日本でも基本的につくるものは変わらないと思っています。ただ、僕には、日本の文化や伝統を継承していきたいという強い思いがあるので、海外に出て行くことで自分の考えをアピールしたいと思っています。

 

 

最後に、ブランドとしての目標や展望があれば聞かせてください。

ブランドのコンセプト自体はずっと変わらないですし、何よりも継続していくことが大切だと思っています。デザインの仕事を続けていくほど責任も大きくなってくるので。

デザイナーというのは、ゼロを生み出す職業でそれがどこまで広がりを持つのかを見届けなければならないと考えています。自分を表現するだけにとどまっていては駄目で僕の場合は、変えるというより日本の文化を新しい方法で守るという意識が強いので、日本のファッション全体が西洋のファッションとはまた違う軸で評価されるようになればいいと思いますし、そのためにも日本、東京のファッションシーンが世界の中で一つの大きな存在として位置づけられる様取り組んでいきたいと考えています。

INTERVIEW by Yuki Harada

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