Interview & Report

Daisuke Gemma

Daisuke Gemma 源馬 大輔

クリエイティブ・ディレクター

1975年生まれ。1996年に渡英し、1997年ロンドンBROWNS社に入社、バイヤーとしてのキャリアをスタートさせる。 2002年帰国後、中目黒にセレクトショップ FAMILYを立ち上げ、 WR/Family Executive Director に就任。2007年に独立し、源馬大輔事務所を設立。CELUX(LVJグループ)のブランディング・ディレクターなどを務め、現在はsacaiのクリエイティブ・ディレクションや香港の高級百貨店LANE CRAWFORDのバイイング・コンサルタントな どを担当。マーケティングから商品開発、内装までディレクションし、日本だけでなく海外との契約も多数。

若くしてロンドンの名門セレクトショップ BROWNSでバイヤーを経験し、帰国後はクリエイティブ・ディレクターとして様々なブランドやショップを手掛けるなど、日本のファッション業界において独自の立ち位置を築いている源馬大輔氏。豊富な海外経験を持つ彼のもとには、国内のみならず、LANE CRAWFORDJOYCEをはじめ、海外からの仕事の依頼も少なくない。そんなグローバルな視野を持つ源馬氏が、日本のファッションビジネスの現状や、JFWO(Japan Fashion Week Organization)コミッティという立場で、Mercedes-Benz Fashion Week TOKYOの今後の課題について、鋭い視点で語ってくれた。

現在のようなお仕事をするようになるまでの経緯を教えて下さい。

源馬:21歳の頃、ロンドンに留学したのですが、向こうで色々友人もできて、ある時期からBROWNSという会社によく出入りするようになったんです。BROWNSは日本人のお客さんが結構多かったこともあり、販売員をやってみたらどうか、という話が出て、英語も話せなかったのですが、とりあえず始めてみたんです。翌年、今でも付き合いがあるバーニー・トーマスというバイヤーの推薦で、海外のバイイングに連れて行ってもらい、そこからはバイイングの仕事をするようになりました。26歳で帰国してからは、WRという会社に入ってFamilyというセレクトショップを始めたり、Pred.P.R.というPR会社を立ち上げたりしました。今はsacaiや、香港の百貨店 LANE CRAWFORDなどと一緒に仕事をしています。

日本に戻って仕事をするようになってから、海外との違いを感じることはありましたか?

源馬:BROWNSがハイエンド向けのお店だったこともあり、高くても良いものであれば売れるという感覚が自分の中にはありました。でも、日本はロンドンと違ってハイエンドのマーケットが厳しい状況で、ほとんどが中間層のお客さん。しかも、サイクルがとても早いし、まずは洋服を雑誌に載せて売っていくという独特の図式もあって、帰国直後は結構ショックでしたね。そんな中でやっていける自信もなかったのですが、海外から戻ってきて日本の悪口を言うような人間にはなりたくなかった。もっと日本の文化を知って、とにかく自分らしいことをやっていこうと思ったんです。帰国後、Familyというセレクトショップをまず立ち上げたのですが、自分のことをわかってくれる家族のような人たちが来てくれたらいいなという思いをショップ名に込めました。

日本で仕事をしていく上で、どのような立ち位置でファッションに関わっていこうと考えていましたか?

源馬:僕の周りには素晴らしい才能を持った人たちがたくさんいて、彼らを見ていたからこそ、自分はデザイナーにはなれないというのはわかっていました。でも、そういうすごい人たちと一緒に仕事がしたかったので、自分はリンパ液のような存在になって、彼らが作ったものをきれいに流していくようなことをやりたいなと思ったんです。デザイナーが作ったものをより良く伝えていくために、ビジネス的な部分も含め、デザイン以外のすべてのクリエイティブを考えられる人間になりたいなと。

ショーの音楽からショップの内装、マーケティングまで幅広い分野でディレクションをご担当されていますが、そうしたノウハウはどのように覚えていったのですか?

源馬:まずベースにあるのは、そのブランドや洋服が好きだということです。sacaiの仕事もそうなのですが、とにかく好きだから、ノウハウはないけれどがんばって探りながらやっていくという感じです。一方で、香港のセレクトショップ JOYCEや、LANE CRAWFORDなどの仕事では、好きな日本のブランドやデザイナーを世界に向けてダイレクトに伝えていくことができるので、また違うやり甲斐がありますね。今、自分がこういう仕事をできているのは、BROWNSにいた時に、ビジネスの部分も含めシビアに学ぶことができたことが大きかったと思っています。

海外の仕事も多い源馬さんですが、日本のマーケットの現状についてはどう感じていますか?

源馬:マーケットがなまじ大きいので、どうしてもビジネス的には国内のミドルマーケット向けに作っていこうとするのもわかるのですが、それによってドメスティックになり過ぎているように思います。サイズは完全に日本向けだし、値付けにしても上代を決めてその何%で卸すかというやり方をしている。これも日本だけです。そうやってドメスティックに作られているものに対して、なかなか海外の人は面白いとは思わないですよね。最近はファストファッションの影響もあってか、どの国内ブランドもそれと同じようなことをしている観もあり、消費者にブランドやショップが踊らされている気がします。でも、お客さんは本当はそんなことを期待しているわけではないはずです。

東京のファッション・ウィークに対して感じていることなどがあれば教えてください。

源馬:もう少し緊張感があってもいいのかなと思います。やはりショーというのは、作る側と見る側の真剣勝負の場。現状のファッション・ウィークには、そういう雰囲気があまり感じられないように思います。あと、日本独特のやり方でやっていった方がいいと思うので、すべてのブランドがショーにこだわる必要もないのではと。パリだと、シンプルなショーでしっかり見せないといけないという固まった考え方がありますが、日本の場合はそうしなくても許される空気感がありますよね。例えば、クオリティの高いストリーミングで全世界に発信していくことも日本は得意だと思うし、そうやって海外の人に見てもらう機会をもっと作っていくことが大事だと思います。また、一般のお客さんが参加できるようなイベントは前回(2011年10月開催)も盛り上がっていたので、今後もファッション・ウィーク中に実施することには賛成です。ただ、プロが集まる場との切り分けを考えて、一般のお客さん向けには小売店などが中心になって街ごと盛り上げていけるようなやり方が必要なのかなと思います

ファッション・ウィークに参加している日本のブランドのクリエイションについてはどう感じていますか?

源馬:クリエイションというのは、各ブランド独自のものなので、どんどん突き詰めていけばいいと思います。ただ、ブランドは洋服だけを作っていればいいわけではなくて、全体感で勝負していく必要があると思うのですが、今、東京を拠点に活動しているブランドには、それができているところは少ない気がします。あと、負けず嫌いの人も最近は減ってしまったのかなと。「僕らはこれくらいでいいんだ」という感じがあるように思います。やっぱり世界で注目されている人たちは、人種問わず皆、超負けず嫌いなんですよね。勝ち負け云々という話ではないですが、そういう気持ちの部分も大きいと思います。

今後、日本のブランドに目指して欲しいことなどはありますか?

源馬:独自に面白いことをやっているブランドはたくさんあると思うのですが、どうしても内輪ノリに見えてしまうところがあります。独自のスタイルがあることは素晴らしいけど、それがアンダーグラウンドのまま終わってしまったら、とても残念。僕は、メジャーなフィールドで、アンダーグラウンドなことをすることこそがかっこ良いと思う。一人10万円する高級な寿司を知らないで、「自分は回転寿司でいい」と言っているような気がしてしまうんです。それは、高級な寿司を知った上で回転寿司を選ぶのとはやっぱり違う。もっとグローバルな感覚を持ってやっていけるブランドが増えて欲しいなと思っています。

そのためには、海外にもっと目を向けることが必要なのかもしれないですね。

源馬:日本にいるだけだと、どうしてもハイエンドがわからなかったりしますからね。それは、実際に海外に行った身だからこそよくわかります。最近は海外に留学する人が減っていると言われていますが、それはまずいなと。やはり、実際に海外へ行くと、いろんな扉が開かれますから。

これからのデザイナーは、服作りをするだけでなく、源馬さんのように総合的にブランドの方向性を考えていく視野も求められていきそうですね。

源馬:海外で勝負をしていこうとするなら、ある程度ビジネスを考えていける人と一緒にやっていくことも大切です。例えば、海外のトップデザイナーでも、ある部分はすべて託すことのできるパートナーを見つけている人が多いですし、自分とは違うアングルでものを見られる人を側に置くというのはとても大事なことだと思います。一緒に仕事をしているsacaiの阿部(千登勢)さんにしても、そういう意味で僕を横に置いてくれているわけですし、コム デ ギャルソンの川久保(玲)さんにしても、自分がクリエイションに専念できる環境をしっかり作っています。デザイナーがすべてをわかっていなければいけないということではなく、わからないことは専門の人に任せられる環境作りというのが大事なのだと思います。

INTERVIEW by Yuki Harada

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