Interview & Report

Yu Amatsu  ×  Yasutoshi Ezumi

Yu Amatsu × Yasutoshi Ezumi 天津 憂 × 江角 泰俊

天津 憂 / Yu Amatsu A DEGREE FAHRENHEIT デザイナー × 江角 泰俊 / Yasutoshi Ezumi Yasutoshi Ezumi デザイナー

天津 憂 / Yu Amatsu[右]
A DEGREE FAHRENHEIT デザイナー
フリーの衣裳デザイナーを経て2004年単身ニューヨークへ。Zac Posen、Philip Limなど、数多くのデザイナーを輩出している全米最大ファッションコンテスト 「GEN ART International Design Competition」にて、各国のバイヤー、有名デザイナーらによって、斬新なデザインとクリエーションの高さを評価され2年連続グランプリ受賞。JFWO主催の「SHINMAI Creator's Project」に選ばれたのを機に2009年に帰国、2010 A/W 東京コレクションデビュー。株式会社212を設立メンズ、ウィメンズともに展開する。

江角 泰俊 / Yasutoshi Ezumi[左]
Yasutoshi Ezumi デザイナー
ロンドン、セントラルセントマーティンズ美術学校ファッション&テキスタイル科卒業。アレキサンダーマックイーン等コレクションブランドで経験を積み、2008 S/S、A/W「アクアスキュータム」にてニットウェアデザイナーを務める。帰国後、ファッション、テキスタイルデザイナー/アートディレクターとして活動し、2010 A/Wよりファッションブランド「Yasutoshi Ezumi」を立ち上げる。2011年、JFWO主催の「SHINMAI Creator's Project」に選出。2011 A/Wより東京コレクションにて発表。

新人デザイナーの育成・支援を目的とした「SHINMAI Creator’s Project(シンマイ・クリエーターズ・プロジェクト)」(以下、シンマイ)にともに選出され、Mercedes-Benz Fashion Week TOKYO 2012 S/Sでは、合同ショーという形でコレクションを発表し、話題を集めた>A DEGREE FAHRENHEITとYasutoshi Ezumi。
ブランドのデザイナーである天津 憂、江角 泰俊両氏は、それぞれニューヨーク、ロンドンでの海外経験など共通点も多く、ブランドの成長過程にある現段階で、理想的な関係性を築いているようだ。
日本のファッションシーンのこれからを担っていくことが期待される彼らにお話を伺った。

お二人の出会いについて教えてください。

江角:自分のブランドを始めようとした時に、単独で展示会をやってもなかなか人が来ないだろうと思ったので、自分たちで面白いブランドを集めて、2010年より「コレクティブ ショールーム」という合同展示会を企画しました。同じ頃、シンマイに選ばれ、ニューヨークから帰ってきていた天津くんを、知人を通して紹介してもらい、企画に参加してもらうことになったのが最初の出会いです。

天津:それまで僕はニューヨークのメゾンで働いていたのですが、並行してA DEGREE(エーデグリー)という名前で自分の活動もしていました。いつかショー形式で発表したいという思いがあったので、シンマイに応募したのですが、プロジェクトに参加するにあたって、日本に帰る必要があったんです。それがきっかけで、「A DEGREE FAHRENHEIT(エー デグリー ファーレンハイト)」として改めて日本で活動を始めることになりました。

江角:僕は、彼の次の年でシンマイに選ばれました。ブランドを始めるまではロンドンにいて、帰国後は1年間フリーランスの仕事をしながらブランド立ち上げの準備をし、2010年秋冬に「Yasutoshi Ezumi」をスタートさせました。最初の2シーズンは展示会ベースで発表し、その後、シンマイに選ばれたという流れです。

シンマイに参加した感想を聞かせてください。

江角:いざショーをするとなると、それまでやっていた展示会よりも、はるかに多い型数が必要となり、それらを制作するのが大変でしたが、結果としては良い機会になりました。結果的には震災の影響でショーができず、Webでの発表になりましたが、メディアの反響も結構ありましたし、ブランドとしての活動が大きくなるきっかけにもなりました。天津くんの場合は、ファーストシーズンからすごい量の型数を作っていたよね?

天津:80型くらい作っていました。僕の場合は、型数に関しては問題なかったのですが、日本の背景を全く知らないまま帰ってきて、工場や生地屋さんのことも全然わからないところからスタートしたので、最初のキャッチアップが大変でした。実際にシンマイに参加し、はじめのうちはこれに選ばれたからといって卸せるお店はそれほどなかったのですが、今ではどこに行ってもブランド名を言えばある程度わかってくれるようになったので、知名度はだいぶ上がったと思います。

A DEGREE FAHRENHEIT 2010-11 A/W

Yasutoshi Ezumi 2011-12 A/W

10月のMercedes-Benz Fashion Week TOKYO 2012 S/Sもショー形式で発表されましたが、同じショーでもシンマイとはやはり違ったのではないでしょうか。

江角:そうですね。シンマイは服を持っていったらそのままショーができるような状態でしたが、10月のショーは合同とは言えブランドが主体となるものでしたから、演出、運営管理など全体プロデュースも自分たちで行わなければいけなかった分、結構大変でした。ある程度の規模のブランドなら人手もそれなりにありますが、うちのように小さいブランドだとまだまだ難しい点は多くあります。でも、今回参加して良い経験になったと思っていますので、それを踏まえて、3月に向けても早々に動いています。

天津:今回、僕らはクリエイティブ企業育成プログラムの新世代支援ブランドとして参加させていただきましたが、会場を提供してもらえたり、制作費の実費支援があったり、大きくサポートしてもらえました。今後こういった支援が続くことが大切なのではと思います。

ちなみに、ロンドンやニューヨークでは、若手デザイナーの支援にはどんな取り組みがあるのですか?

天津:ニューヨークの場合は、新世代支援プログラムとは違って、基本的にはビジネスが前提です。例えば、どこかのブランドがスポンサーに入って、テレビなどのエンターテインメント・コンテンツとして若手ブランドを見せていくようなものが多いです。

江角:ロンドンには、「New Generation(NEWGEN)」や「Fashion East」のような新人を支援する団体やプロジェクトが色々あって、若手が出ていきやすい基盤ができています。そうしたプロジェクトに参加したブランドが、その後自立して大きくなっていくという流れが見て取れます。新世代支援プログラムも今回以上にブランドに対するバックアップ体制をしっかり固めて継続していくことで、若手の登竜門のような存在になっていくのではないでしょうか。

天津:海外バイヤーの招待などにもう少し力を入れてほしいと感じました。ファッション・ウィーク自体のレベルは高いですし、海外でもセンスや技術のある日本人がたくさん活躍していますが、どうしても海外のファッション・ウィークに比べて、東京は閉鎖的に見えてしまいます。その辺のバックアップを、国レベルで行っていけば、よりいっそう若手ブランドの発展を後押し出来るのではないかと思います。

昨年10月の合同ショーについて詳しくお伺いしたいのですが、なぜ “合同” という形を取られたのですか?

江角:コレクション会場の視察に天津くんと一緒に行った際に、どちらともなく「一緒にやるか?」ということになりました。僕らはアトリエが隣同士なので密に連絡が取れるし、ブランドとしてのテイストは違いますが、同じような段階にいるという感覚もあります。そういうブランドが合同でショーをすれば話題作りになるだろうし、相乗効果が期待できるのではと考えました。準備段階では、僕と天津くん、A DEGREEのスタッフで連絡を取り合いながら進めていきました。

天津:特に運営面では主に江角くんたちに進めてもらいましたので、大変感謝しています。

江角:打ち合わせはしましたが、ほとんど実務的なことでした。お互いのサンプルなどはチラッと目に入ったりもしますが、コレクションのテーマなどは当日まで知らないというくらい、その点においては互いに干渉はしませんでした。ただ、僕はニット、彼は布帛やパターンなど得意分野が違うので、そういう技術的な部分はお互いに教え合いながら進めていました。

天津:例えば、ニットの製作工程というのはかなり独特で、工場とのやり取りも専門知識がないと難しいことも多いんです。そういう時はお互いの専門分野によって助け合えたのが、合同でよかったひとつの点ですね。もちろんお互いにライバルですが、バランスの良い関係性でやれていると思います。

江角:それぞれの武器が違うというのもいい点です。デザインに関してはほとんど話しませんが、ブランドの経営や技術面などの情報交換はよくしていて、良い相談相手でもあり、お互いの刺激にもなっています。

A DEGREE FAHRENHEIT 2012 S/S

Yasutoshi Ezumi 2012 S/S

現在の日本のファッションシーンについて感じることはありますか?

江角:日本のファッションシーンは、それ自体が非常に独特で、他に類を見ないです。まず消費者が非常に多いので、市場は常にダイナミックに動いているように感じます。現在は日本もファストファッションの勢いが強いですが、それが今後ずっと続いていくわけではなく、経済の状況に応じてそういったトレンドも循環していくので、流行や風潮に惑わされず、コツコツとブランドのイメージを積み上げて、表現し、スタイルを確立していくことが大切だと思っています。

天津:以前の日本には、一般の人がコレクション雑誌を見るという独特の状況がありましたが、現在はそれがあまりなくなって、ファストファッションの流行も加わり、ドメスティックブランドの存在も目立たなくなってきている。それは単純に悲しいし、現在はオシャレをすることが少し恥ずかしいことのような雰囲気すらある気がします。そうやってみんなが空気を読んでいるから、「ハズシのテクニック」ばかりが蔓延していますが、だからこそ僕は、もっとセクシーでキザなスタイルを提案していきたいと思っています。

一方で、海外への意識についてはいかがですか?

江角:3年くらい日本で基盤を固めてから、海外に出ていきたいと考えています。現在は、アジアに目を向けて連携を取っていく段階に来ていますが、その時に日本がリーダーとなって、アジアの各都市で大規模な展示会やショーをやっていくというようなことが必要だと思います。

天津:僕は、日本とニューヨークそれぞれに事務所を持つことが理想です。ただ、その前にやはりまずはベースを固めたい。素材や縫製など日本のもの作りは質が高いので、基盤をしっかり築いて、そういった良いものを海外に持っていくという形がいいのかなと思っています。

江角:その感覚は僕もあります。ロンドンの場合、工場があまり国内にはないので、イタリアやトルコ、香港などの工場に発注していました。それだと工場とのやり取りがしにくんです。今は日本の工場も厳しい状況ですが、その中でも手を抜かずにしっかりとしたものを作ってくれる。そういうところと良い関係を築きながら、一緒に大きくなっていきたいです。

最後に、次回のコレクションの構想があれば聞かせて下さい。

江角:次はそれぞれ別でやる予定です。うちのブランドコンセプトは「理(ことわり)」で、毎回「物理」「合理」というところから考えていて、次もそれに関係したテーマになりますが、これまで以上に世界観を凝縮して見せていくつもりです。「体感できるショー」として、プレゼンテーションの計画を色々進めているところです。

天津:江角さんから少し構想を聞かせてもらいましたが、なかなか面白いことになりそうですよ。僕の方は、まだあまり詳しいことは言えませんが、いつも「温度」をテーマにしてやっているので、次回もそこを軸に作っていく予定です。

INTERVIEW by Yuki Harada

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