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HIROKO KOSHINO

SPECIAL INFORMATION
for「HIROKO KOSHINO」

ファッションデザイナーの新作発表の場である「Rakuten Fashion Week TOKYO」。
2005年の一般社団法人日本ファッション・ウィーク推進機構(以下JFWO)設立によるコレクション事業の
開始から遡ること28年前の 1977年より、年2回の発表を続けてきた「HIROKO KOSHINO」。
2005年、一般社団法人日本ファッション・ウィーク推進機構(以下JFWO)の設立以後も
通算30回にわたりコレクションを発表し続けてきた、東京のファッション・ウィーク史上最多参加ブランドです。

コシノヒロコ氏のデザイナー歴は65年以上。
デザイナーとしてはもちろん、JFWOの個人会員としても本事業を支えていただいているお一人であり、
業界黎明期から長年にわたり、今もなお日本のファッション界を牽引していただいています。

今季より「HIROKO KOSHINO」ブランドは、その原点に立ちかえり、
オートクチュールコレクションを軸に新しい形式でのコレクション発表をされることとなりました。
JFWOではそのニュースを受け、年2回開催の「Rakuten Fashion Week TOKYO」の場にこだわらず、
これからの「HIROKO KOSHINO」ブランドの動きについても情報発信していきたいと考え、
SPECIAL INFORMATION for「HIROKO KOSHINO」を立ち上げました。
本サイトからの「HIROKO KOSHINO」ブランド最新情報にご注目ください。

一般社団法人日本ファッション・ウィーク推進機構

Brand Profile

Designer

コシノ ヒロコ
Hiroko Koshino

Brand SNSInstagram

1964年に開設したオートクチュールのアトリエから、私の創作活動は大きく広がりました。
クチュールは、デザイナーとしての私の原点でした。
一方で、1982年から展開しているプレタポルテは、HIROKO KOSHINOの大きな柱です。
クチュールとプレタ、毎年それぞれ発表してきたコレクションをこのたび一本化し、すべてのブランドの基軸に据えることといたします。 ショーでご披露するクチュール作品は、サンプルをその場でご覧いただき、ご予約を承ります。 お誂えに一定のお日にちをいただくため、ファッションウィークの時期から離れてコレクションを発表することになりました。 カレンダーからは外れますが、HIROKO KOSHINO Collectionはこれからも進化を続けます。どうぞご期待ください。

Designer Profile

大阪、岸和田市生まれ。
文化服装学院在学中に日本デザイナー協会デザインコンクールで第1位受賞。
1964年に大阪心斎橋にオートクチュール・アトリエを開設し、77年以降は毎年東京コレクションに参加。
78年にはローマのアルタ・モーダで日本人として初めて作品を発表し、82年から10年間はパリのプレタポルテ・コレクションに参加。
一方で異分野のアーティストとのコラボレーションによるイベントも多く開催し、近年は書画作品の展覧会も多数。
2009年には17年ぶりにパリコレクション再デビューを果たし、11年にはファッションとアートの展覧会を、12年には絵画だけの個展をパリで開催。
13年には芦屋の安藤忠雄設計の旧自宅を「KHギャラリー芦屋」としてオープン。
2021年4月より6月まで、兵庫県立美術館で「コシノヒロコ展」を大々的に開催した。
97年第15回毎日ファッション大賞、01年大阪芸術賞受賞。

Brand Profile

[ブランド創設年] 1982年
日本を代表するブランドとして、国内のみならず世界各地で高い評価を得ているヒロココシノ。
HIROKO KOSHINO COUTURE、HIROKO KOSHINO、TRUNK HIROKO KOSHINO、HIROKO BIS、re: edition project 165の5つのブランドを擁する婦人ファッションのショップ数は、国内外でおよそ130店舗を数える。
ほかにもTV通販などで展開する婦人服、バッグや財布、帽子などの雑貨類、タオルや食器などの生活関連商品、紳士ファッションのトータルアイテムなど、幅広い分野でライセンス事業を展開している。

Contant/Press

株式会社 ヒロココシノ/草野 雅恵

Address
〒106-0032 東京都港区六本木3-1-1 9F
Tel
03-6625-8270
Email
kusano@hirokokoshino.com
Link
https://www.hirokokoshino.com/
Shop

ヒロココシノ 日本橋高島屋店

Address
〒103-8265 東京都中央区日本橋2-4-1
Tel
03-3275-1515
Link
https://www.hirokokoshino.com/en/shops/
Online Shop

イトキンオンラインストア

Link
https://www.itokin.net/brand/hiroko_koshino
Gallery

KH Gallery 芦屋

Address
〒659-0003 兵庫県芦屋市奥池町17-5
Tel
0797-63-5678
Link
https://www.kh-gallery.com

History

コシノヒロコ 年譜

1937年
大阪岸和田市に生まれる
1957年
文化服装学院在学中にN.D.C.(日本デザイナー協会)デザインコンクール第1位受賞
1961年
文化服装学院を卒業後、銀座小松ストアー(現ギンザコマツ)ヤングレディースコーナー専属デザイナーとなる
1964年
大阪心斎橋にオートクチュール・アトリエを開設
1977年
TD6(Top Designer 6)参加
東京コレクション参加。以後現在に至るまで年2回出品
1978年
ローマ・アルタ・モーダに日本人として初めて参加。センセーショナルなデビューを飾り、『イタリアン・ハーパース・バザー』誌で特集が組まれる
1982年
ヒロココシノインターナショナル株式会社を設立、代表取締役に就任
婦人服プレタポルテ、ライセンス活動を展開
パリ・プレタポルテコレクションに参加。以後年2回参加
1983年
財団法人大阪21世紀協会専門委員に就任
大阪21世紀協会のイベントとして、ヒロコ、ジュンコ、ミチコの3人ショーを開催
1984年
中国・上海で日本人として初めてのコレクションを錦江倶楽部にて開催
1985年
東京オフィスを開設
東京ファッションデザイナーズ協議会(CFD)メンバーとなる
社団法人関西経済同友会会員に就任
社団法人日本デザイナークラブ名誉会員となる
1987年
大阪府、大阪市、経済界の協力を得て第1回大阪コレクションをマイドームおおさかにて発表
韓国・ソウルにてコレクションを発表
1988年
株式会社ヒロココシノデザインオフィス設立、代表取締役社長に就任
ヒロココシノインターナショナル株式会社取締役会長に就任
1989年
ワールド・ファッション・フェア(WFF)推進協議会実行委員会委員に就任
1990年
C.O.D.(コレクティブ・オブ・オオサカデザイナーズ)結成 同会会長に就任
1991年
ヒロココシノデザインオフィス・パリを開設
1993年
パリコレクション参加10年を機にコレクション参加を中止、パリオフィス閉鎖
1994年
チェコ共和国・プラハにて建築家ボレック・シペック、演出家バンビ・ウデンとのコラボレーション「トワイライト・モード」を開催
大阪・近鉄アート館にて「コシノヒロコ展」を開催、作品図書を発表
1995年
アメリカ・ワシントンで開催された国際アパレル連盟総会でアジア代表デザイナーとして講演
1996年
帝国ホテル大阪のスタッフユニフォームをデザイン
1997年
大阪コレクションにて、大阪府知事、大阪市長をモデルに迎えヒロココシノ・オム・コレクションを発表
ブランド設立15周年、デザイナー歴40周年を迎える
第15回毎日ファッション大賞受賞
コシノヒロコ作品集『HK2001』を出版
1998年
近つ飛鳥博物館にて作曲家三枝成彰氏とのファッションイベント「Fashion Vision 21」を開催
2000年
ドイツ・ハンブルグにて空間デザイナー、クリスチャン・ベシャール氏とのファッション・コラボレーション「タクタイル・センセーション(触覚革命)」を開催
日本初来日のジュネーブのバレエ団、グランド・シアター・ドゥ・ジュネーブの舞台衣装をデザイン
郷里、大阪岸和田市にて、ヒロコ、ジュンコ、ミチコ3姉妹のコレクションを開催
2001年
芦屋・奥池にアトリエ&ゲストハウス「SEMPER」が完成
平成13年度大阪芸術賞受賞
2002年
「仄かと閃き」展と題し、墨絵の個展を東京、札幌、小倉にて開催
2003年
コレクション作品抜粋と水墨画を中心とした「コシノヒロコの仕事展」を大阪・近鉄アート館にて開催
2004年
芦屋市からの要請を受け、ファッションをはじめ書画、絵画などこれまでの創作活動の集大成として「コシノヒロコ展」を芦屋市立美術博物館にて開催
2005年
小池百合子環境相からの依頼により、男性の夏の省エネファッション「COOL BIZ」のプロデューサーとして各界に協力を呼びかけ、また自ら提案を行う
2006年
大丸ミュージアム・東京にて、コシノヒロコ、老舗呉服店・誉田屋源兵衛、建築家・隈研吾らとのコラボレーションによる「襲展」を開催。伝統工芸である小石丸を使用したきもの・帯に直接筆を入れデザイン
2007年
デザイナー歴50周年を迎える
中国上海国際芸術祭に参加。音楽家マイケル・ナイマンとのコラボレーションイベント「Anomalous Duality(ありえない組み合わせ)」 を開催
2008年
株式会社ヒロココシノデザインオフィスから株式会社ヒロココシノに社名変更
2009年
15年以上のブランクを経て、パリコレクションに再び参加
中華民国紡績業拓展會の主催する特別イベント「Taipei in Style」へShiatzy Chenとともに招聘され、コレクションを披露
台湾実践大学より、外国人として初めて名誉教授の称号を授受
2010年
コレクション作品のほかテキスタイルデザインも展示、細部まで見て触れることのできる展覧会形式にてパリコレクションを発表
北京服装学院主催の国際会議「国際服飾文化教育研討会」に招聘され記念講演、学院の名誉教授を拝命。会議最終日にはコレクションを披露
2011年
パリコレクションへの参加を中止し、ファッションとアートの展覧会「Hiroko Koshino Creations 2011」をパリ装飾芸術美術館にて開催
2012年
パリのギャラリーHors-Champsにて、アーティストとして初の絵画個展
夏季ロンドンオリンピック体操競技日本代表のユニフォームをデザイン、以後現在に至るまで男女日本代表のデザインを担当
アーティスト 小篠弘子の作品を発表する場としてKHギャラリー銀座をオープン
2013年
姫路山陽百貨店美術画廊にて「小篠弘子アートの世界」展を開催
芦屋の自宅をギャラリーに改装し、KHギャラリー芦屋としてオープン
国際大会に出場する体操競技・トランポリン日本代表選手の公式ウェアをデザイン
阪神梅田本店美術画廊にて「小篠弘子 絵筆で紡ぐアートの世界」を開催
大丸心斎橋店にて「小篠弘子 絵筆の贈り物」を開催
2014年
パリの老舗画廊ギャルリー・ニコラ・ドゥマンにて個展
滋賀県近江八幡市旧市街で開催された BIWAKO ビエンナーレ 2014「泡沫—UTAKATA」に出品
大丸京都店にて「小篠弘子 絵筆の贈り物」を開催
2015年
「淡路花博 2015 花みどりフェア」にて、華道家・片桐功敦との「みどりとアートのコラボレーションオブジェ」展示のほか、ファッションとアートを融合させた「HIROKO KOSHINO EXHIBITION —コシノヒロコ展—」を開催
大丸心斎橋店にて「コシノヒロコ展 —絵筆の軌跡—」を開催
2016年
株式会社ヒロココシノ 代表取締役会長に就任
大阪Air Galleryにて「ヒロココシノ Black & White ‒墨と余白-」展を開催
兵庫県県勢高揚功労を受賞
東京都「東京ブランドのあり方検討会」委員に就任
2017年
Global Summit of Women 2017にてThe Business of Fashion and Designセッションのパネリストを務める
デザイナー60周年記念本『HIROKO KOSHINO | it is as it is あるがまま なすがまま』を出版
2018年
神戸ファッション美術館 名誉館長就任
ニューヨークのWhite Boxにて「コシノヒロコ:バウハウスの香り」を開催
2019年
所属する長唄杵勝会の第12回全国大会が歌舞伎座で開催され、杵屋勝禄女として長唄三味線演奏のほか一部舞台背景美術も担当
一般公募により幅広い年代から100名のモデルを採用し、神戸ファッション美術館オルビスホールにて「コシノヒロコ ファッションショー GET YOUR STYLE!」を開催
KHギャラリー銀座を閉鎖し、ギャラリー機能を芦屋へ集約
2021年
特別展「コシノヒロコ展 EX・VISION TO THE FUTURE 未来へ」を兵庫県立美術館にて開催
東京都「東京芸術文化評議会」評議員に就任
2022年
前年開催の「コシノヒロコ展 EX・VISION TO THE FUTURE 未来へ」が、日本空間デザイン賞2022の銀賞を、日本サインデザイン賞で銅賞を受賞
NHK主催公開録画公演「至高の芸と継承者 長唄」に長唄杵勝会が出演、演奏に参加のほか舞台美術やプログラムデザインを担当
近鉄百貨店奈良店開業50周年記念祭の一環として美術画廊にて「コシノヒロコ絵画展」を開催
2023年
杵勝会の師範に昇格、京都南座で開催された第13回全国大会で演奏披露のほかプログラムデザインや舞台背景美術を手がける
松坂屋上野店美術画廊にて「コシノヒロコ展 Art et Luxe」を開催

コシノヒロコ 創作の軌跡

コシノヒロコは、呉服商の祖父、テーラーの父、洋装店を営む母という小篠家の長女として大阪府岸和田市に生まれた。ヒロコは、幼い頃から祖父の影響で「きもの」という日本の官能的な美しさと、父母の作る「洋装:モード」のふたつの影響を受けて育った。彼女のひとつのアイデンティティーである「東洋と西洋を融合させた美しさ」は、幼い頃からこうした恵まれた環境のなかで育まれていった。

1950年から1960年代はヒロコの才能がつぼみから開花に至る時機であった。東京・文化服装学院デザイン科に進んだヒロコは、恵まれた絵の才能を発揮し、在学中から日本デザイナー協会(N.D.C.)主催のデザインコンクール第1位受賞ほか多くのデザインコンテストで賞に輝くなど、華々しい活躍を見せた。当時の文化服装学院は、コシノヒロコに続いて、高田賢三、山本耀司、熊谷登喜夫、彼女の妹であるコシノジュンコなど、才能溢れる若いデザイナーが在学していた。70年代後半に彼らは東京コレクションの前身であるTD6を結成し、80年代に入ってこぞってパリコレクションに参加することになる。

文化服装学院卒業後、コシノヒロコは母が営む岸和田の洋装店を継ぎながら、銀座小松ストアー(現ギンザコマツ)の専属デザイナーを務めた後、大阪の一等地である心斎橋にオートクチュールのアトリエを開設した。ドライフラワーやアンティーク、そして当時としてはかなり斬新な洋服が飾ってある店はすぐさま評判を呼び、幾つものライセンスデザインの仕事が舞い込んだが、毎シーズンコレクションを開くための財政的な苦労は絶えなかった。「振り返ってみれば辛い時代だった」と語るヒロコだが、当時はまだ26歳という若いデザイナー、デザインすることが楽しくて仕方がない時期でもあった。ちなみに、後にパリで高田賢三のアシスタントを経てアトリエを開いた入江末男は、この頃アトリエスタッフとして採用され、その後、渡仏するまでコシノヒロコのもとで働いている。

1970年代は、ヒロコにとって飛躍の時代だった。TD6に参加し、東京でコレクションを開催するようになる。また初の海外活動として、ローマで開催されていたアルタモーダに日本人として初めて参加。イタリアの伝統職人とともに素材を開発し制作した作品はローマで新鮮な驚きと感動を与え、『イタリアン・ハーパースバザー』誌では、ヒロココシノだけで30ページの特集を組んだほどのセンセーショナルなデビューコレクションだった。「東洋と西洋が融合する美」というコシノヒロコのアイデンティティーが海外で高く評価されたのは、この頃からだった。

1980年代にはさらに大きな飛躍の時を迎え、コシノヒロコにとって、もっとも多忙を極めた時期となった。1982年にパリ・プレタポルテコレクションに参加、海外での活動も広範囲にわたった。中国・上海、韓国・ソウルなどで、いずれも招聘されてコレクションを発表している。こうした活動によってフランス、イタリアをはじめとしたヨーロッパ、そしてアジアでも、彼女の名前は広く知られるようになっていった。しかしその一方で、彼女が郷里のファッション振興のために献身的に活動したのは、大阪コレクションの創設。東京コレクションを主催する東京ファッションデザイナーズ協議会(CFD)のメンバーとなる一方で、「大阪からアジアへ」という掛け声のもとに発足された大阪21世紀協会専門委員となった彼女が中心となって、大阪コレクションが開催された。このため、この頃のヒロコは、毎シーズン、パリ、東京、大阪の3カ所でコレクションを発表している。

1990年代、コシノヒロコの創作活動はさらに世界に広がった。毎シーズンのコレクションの合間を縫う形で、チェコ共和国・プラハにて、建築家ボレック・シーペックと演出家バンビ・ウデンとのコラボレーションを開催、アメリカ・ワシントン市で開催された国際アパレル連盟総会ではアジア代表デザイナーとして講演を行っている。また国内でも、幼い頃から嗜んでいた書を揮毫した「コシノヒロコ展」を大阪の近鉄アート館で開催。ファッションと離れた作品展だったが、開催と同時に美術評論の世界で大きな話題となり、あらためて彼女の深い造詣、多彩な能力を世に知らしめることとなった。1997年にデザイナー創作活動40周年を迎えたヒロコは、40周年記念作品集『HK2001』を出版、さらに、長年にわたる国内、海外での活動が高く評価され、毎日新聞社が主催する毎日ファッション大賞を受賞する。

ひとつの節目を迎えた後も創作活動は休むことなく続き、大阪府・近つ飛鳥博物館で作曲家三枝成彰氏とのコラボレーションによる「Fashion Vision 21」を開催、さらに初来日公演したジュネーブのバレエ団、グランド・シアター・ドゥ・ジュネーブの衣装デザインを担当した。海外でも、ドイツ・ハンブルクにて空間デザイナー、クルスチャン・ベシャールとのファッション・コラボレーション「TACTILE SENSATION」(触覚革命)に取り組んだ。

2000年代はヒロコにとって円熟期に入ったといえるだろう。2001年には自らの制作活動の環境を整えるべく、大阪湾を一望する絶景の地・兵庫県芦屋市奥池にアトリエ&ゲストハウス「SEMPER」を建設。翌年からは、コレクション作品抜粋と水墨画を中心とした展覧会を日本各地で開催。続いて芦屋市からの要請を受け、ファッションをはじめ書画、絵画などこれまでの創作活動の集大成として「コシノヒロコ展」を芦屋市立美術博物館で開催した。

この展覧会開催が、コシノに新たな分野のクリエーションに挑戦させる機会となる。京都で270年の伝統を持つ帯匠・誉田屋源兵衛がこの展覧会を観覧し、コラボレーションを申し出、全く新しいきもの、帯の創作に取り組み始めるのである。ここでは、長年ヒロコが培ってきた日本の伝統文化と西洋文化との融合であるファッションデザインが、逆に日本古来の衣装「きもの」に取り込まれ、和でありながらモダンなエキゾチシズムを合わせ持つ迫力あふれるきものデザインが誕生した。このきものと帯の展覧会「襲(かさね)」展を大丸東京店・大丸ミュージアムで開催。会場設計デザインに建築家・隈研吾が参画し、苔の敷き詰められた丘が設けられた会場は、ドラマチックな照明効果と相まって、感動的な展覧会となった。

この間、杵屋禄宣(現・杵屋勝禄)に師事し、14歳から親しんでいた長唄三味線を学び直している。「杵屋禄宣女(現在は杵屋勝禄女)」の名を取り、国立文楽劇場での発表会では二度目の参加で大トリを務め、難物とされる「勧進帳」で会場を興奮の渦に巻き込んだ。ファッションのみならず、書画、絵画、三味線と幅広い分野でその能力を発揮することこそが、コシノヒロコのクリエイティビティのパワフルな原動力になっていることを、まざまざと印象づける出来事であった。

その一方で、この時期には重要なデザイン社会活動にも携わっている。地球温暖化防止策の一環として当時の小池百合子環境大臣から依頼された、男性ビジネスウエアのクールダウン化のためのデザイン提案。このファッションは「Cool Biz」と命名され、この夏の一大ウエーブとして社会現象にまで発展、その後も年中行事として定着するに至っている。

2007年にはデザイナー生活50周年を迎えたコシノヒロコだが、創作に対するその情熱が失われることはなかった。英国の音楽家マイケル・ナイマンと知り合ったことを機に、中国・上海にて合同イベントを開催。息をのむようなパフォーマンスで2,000人もの観客を大いに沸かせた。さらに、一時期支社を構えたロンドンから国籍の異なる若いデザイナーたちを雇い入れることで自分自身やスタッフたちを刺激する一方で、1992年を最後に休止していたパリ・プレタポルテコレクションに再び参加することを決断する。大御所格のデザイナーが「新人に戻った気持ち」でパリに臨むことは、日仏両国のファッション界で大きな話題を呼んだ。このパリコレクション復帰をきっかけに、同じくパリに挑み始めた台湾のトップデザイナー王陳彩霞(Shiatzy Chen)とともに中華民国紡績業拓展會主催の特別イベント「Taipei in Style」に招聘され、台北でコレクションを披露することになる。

そして2010年代、アーティストコシノヒロコとしての活動が本格的に始動した。パリでは、瞬く間に終了するショーという形式でコレクションを発表することを止め、間近で見て触れることのできる展示会形式によって半年間の成果を披露。コレクション作品とともに、オリジナルのテキスタイルも一緒に展示し、コシノヒロコの世界を幅広く披露した。テキスタイルデザインに自身の筆によるアート作品を用いるなど、それまでもファッションデザインとアートはヒロコにとって常に密接な連動を保ってきたが、アートへの思いはますます強まり、2012年にはパリの画廊Gallery Hors-Champsにて個展を開催。絵画作品だけを集めたこの個展は、パリでの画家デビューといえるものだった。同年、ブティックの銀座進出と同時にKHギャラリー銀座をオープン。さらに翌2013年には安藤忠雄氏設計の自宅をギャラリーとして改装し、KHギャラリー芦屋として一般公開した。現在はギャラリー機能を芦屋に集約させ、季節ごとの企画展示によってヒロコの作品世界を披露している。

その後も継続的に国内外で個展を開催する一方、師範として所属する長唄杵勝会が数年おきに開催する全国大会では舞台背景美術にも挑戦。自分自身が創作した墨絵作品を大きく引き伸ばした舞台で長唄の名曲が演奏され、また講演プログラムのデザインも手がけるなど、杵勝会を陰で支える。今やアートは、ファッションとともにヒロコの活動の両輪である。2017年に傘寿記念として出版した『HIROKO KOSHINO | it is as it is あるがまま なすがまま』では、60年におよぶ仕事をくまなく紹介。さらに2021年には、兵庫県立美術館を会場に、ファッションとアートの双方を大々的に紹介する特別展を開催した。集大成としての展覧会ではなく、コシノヒロコの新たな側面を発見してほしいというヒロコの願いは若い世代に確実に届き、新型コロナ肺炎の流行に翻弄される中においても、繰り返し訪れる20代30代が数多く現れた。

80代半ばを超えた今も、ヒロコはひとつところに留まることなく挑み続ける。ファッションデザイナーの原点として継続してきたオートクチュールと、ブランドの柱であるプレタポルテ、それぞれ毎年発表してきたコレクションを一つに統合し、全てのクリエイションの源としてさらに磨き上げることを決意するのだ。

コシノヒロコは語る。「ファッションに携わっている人は、過去を振り向くのでなく常に前を向いている。これからも自分の感じることを正直に表現して、地球人としてのファッションデザイナーでいたい。」彼女の美しいファッションエネルギーに満ちた創作活動は、世界を舞台に、今も続いている。

Collection

2025 S/S

2024-25 A/W

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