Interview & Report

大江 健 Ken Oe

大江 健 Ken Oe Coohem(コーヘン)

TOKYO FASHION AWARD 2016 受賞デザイナー

山形県生まれ。日本有数のニット産地である山形で幼少期を過ごし、専門学校でマーケティング、デザイン、ファブリックなどを学ぶ。セレクトショップを経て、有名ブランドを数多く手掛けるニットメーカー米富繊維株式会社に入社、ニットテキスタイルの企画開発に携わる。長い歴史の中で独自に開発されたヴィンテージテキスタイルの数々に着目。膨大な数の過去のアーカイヴをベースに今の時代感を吹き込み、ニットツウィードという素材の持つ無限の可能性を追求し、表現をすべく自社ブランドCoohem(コーヘン)を立ち上げる。
Coohem(コーヘン)は「交編(こうへん)」に由来する造語で、日本の老舗ニットメーカー・米富繊維株式会社の自社ブランドとして2010年AUTUMN&WINTERよりブランドをスタート。いくつもの素材を組み合わせる「交編(こうへん)」技術によって、独自に開発されたニットテキスタイルをトラディショナルマインドとクリエイティビティを併せ持つリアルクローズで表現。その素材の企画開発から生産までの全工程を自社ファクトリーで行い、オリジナル性の高いクオリティを実現している。

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山形県にある1952年創業のニットメーカー・米富繊維株式会社の自社ブランドとして、2010年にスタートしたCoohem(コーヘン)。独自の技術とトレンド感を融合させたニットアイテムで人気を博し、海外にも多くの卸先を持つ同ブランドは、パリで発表した2016年秋冬コレクションでメンズラインもスタートさせるなど、さらなる進化を見せている。日本のファクトリーブランドのロールモデルとして注目されるコーヘンのディレクター・大江健に話を伺った。

ブランドをスタートさせるまでの経緯を教えて下さい。

私たちの会社は60年間ニットメーカーとしてテキスタイルを開発し、デザイナーズブランドやセレクトショップに提案してきました。ニット業界ではそれなりに認知されていたのですが、海外生産が増える中で事業規模が縮小したことを受け、自社の技術力を活かしたファクトリーブランドの起ち上げを、当時、米富繊維の代表だった父(大江富造)に提案して生まれたのがこのブランドです。僕自身はそれまでセレクトショップで販売の仕事をしていましたが、この新規事業を機に米富繊維に入社しました。

 

ファクトリーブランドの起ち上げについて、社内からの理解はすぐに得られましたか。

有名メゾンの多くがファクトリーブランドとも言えるヨーロッパに比べ、日本は工場でものづくりをしている人たちとお客さまの距離が非常に遠いんです。当社も、自分たちが作った商品がショップで並んでいる様子を見たことがないというスタッフがほとんどでしたし、最初は自社ブランドを始めると説明してもなかなか理解が得られず、ある程度の実績を出さなければ納得してもらえない状況でした。そこから徐々に技術の引き出し方、商品への落とし込み方がつかめるようになってきて、海外の有名ショップとの取引が始まったり、オリジナルのニット生地を使ったスニーカーが大きな反響を呼んだりして、少しずつ社内での協力者が増えていきました。

パリで行われたTOKYO FASHION AWARDのshowroom.tokyo
上2枚:2016年1月開催/下2枚:2016年6月開催

デザインをする上ではどんなことを意識されていますか。

ファッション全体の流れから時代の気分を抽出し、それを独自の技術を使ってアイテムに落とし込むようにしています。また、ニットメーカーの自社ブランドとして、技術面においても常に最新シーズンが最高の形になるように意識しているので、これまでにOEMでは取り組んだことがないような新しい技術にも積極的にチャレンジしています。時間もコストもかかることなので、生産性は非常に悪いですが、そこまでしなければ周囲と差別化することは難しいですし、時には数ヶ月かけて社内のスタッフを説得しながら、どうすればそれが実現できるかということを考えていくこともあり、こうした経験は会社にとってもプラスになっています。

国内の繊維産業が衰退する中、日本の工場やファクトリーブランドが存続していくためには、どんなことが大切だとお考えですか。

豊富な経験を持つ職人の技術というのはお金で買えるものではなく、一度失ったら取り戻すことはできません。ただ一方で、ベテランの人たちだけで新しい切り口を見せることは難しい。これはどんな業界にも言えることかもしれませんが、長い経験を積んだ人たちの技術と、若い人たちの感覚というのは同じくらい重要で、どちらが欠けても成立しません。自分たちの会社でも、ベテランの人たちには若手を育てることの大切さを伝えていますし、若い人たちには職人の技術や経験に対して敬意を払うようにと日頃から話しています。若い人たちの新しいチャレンジがあり、それに対してまずはやってみようと動ける職人たちがいなければ、ものづくりは進化しないと思っています。

TOKYO FASHION AWARD 2016の受賞ブランドとして、パリのショールームで発表した2016年秋冬シーズンでは、初めてメンズコレクションも発表されましたね。

個人的にはいつかメンズも始めたいと思っていたので、今回のショールームは非常に良いきっかけになりました。最初のシーズンはウィメンズの延長でメンズのアイテムもつくったのですが、次の2017年春夏では逆にメンズを意識したテキスタイルをウィメンズにも展開しました。そうしたことによって、これまでのコーヘンにはなかったマニッシュでシャープなコレクションとなり、海外のバイヤーからは非常に高い評価が得られました。2017年秋冬にはロゴなどをはじめとしたブランド全体のリニューアルを予定しており、それと同時にメンズラインの卸も本格的に展開していきます。

TOKYO FASHION AWARDのプログラムの一環として、今年の3月には東京でのプレゼンテーションも行いましたが、今後もこうした取り組みをされていく予定はありますか。

本来なら先日のプレゼンテーションに合わせて、山形の工場から機械を持っていきたかったのですが、色々な制約があって実現できませんでした。いつかはそういう発信もしたいと考えていますし、それをメディア、バイヤー、お客さまのみならず、現役のデザイナーやデザイナーを目指す学生さんなどにもお見せできればと思っています。つくり手たちの存在を知ってもらった上で自分もつくってみたいという人たちが増えてこなければ、日本でものをつくって売るということ自体が成立しなくなってしまいます。自分たちのブランドだからこそ発信できることがあるはずなので、ファッション・ウィーク期間中などにプレゼンテーションができると意義があるのではないかと考えています。

今後のブランドの展望について教えて下さい。

今後も引き続き、メンズ、ウィメンズコレクションをそれぞれ国内外で並行して発表していきたいと思っています。また、中期的な目標としては、小さな工場を併設した路面店をつくり、単に商品を売るだけではなく、ブランドの背景もしっかり伝えながら、さまざまな人たちが交流できる場にしていきたいと考えています。

 

Interview by Yuki Harada
Photography by Yohey Goto

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