Interview & Report

Koichi Chida

Koichi Chida チダコウイチ

fur fur[creative director]

1967年生まれ。文化服装学院ファッション工科アパレルデザイン科卒業後、工科専攻科卒業。数々のブランドのディレクション、ショップの立ち上げ、プロデュースなどに携わり、様々なジャンル、人とのコラボレーションは多岐に及ぶ(Ex藤代冥砂、ポール・デイヴィス、カレン・キリムニック、田名網敬一、宇野亜喜良、ライトニング ボルト、ヨマール・オーグスト、サラ・ジェイ・ビーズリー、マーティン・マニグ、レナード・ナイト、エドツワキ、エミール・クストリッツァ、アドム・エゴヤン、佐内正史、大森伃佑子など)。2008年よりディレクションを手掛けるブランド“FUR”で東京コレクションを再スタート(現在は“fur fur”に改名)。

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約20年というキャリアの中で、様々なブランドやショップを手掛け、ファッション感度の高い女の子たちの心をつかんできた、fur fur(ファー ファー)のクリエイティブ・ディレクターのチダコウイチさん。ファッションブランドを続けるため、常に課題となるのはビジネスとクリエイションのバランスだが、チダさんは直感力と観察力で時代に合ったやり方でそれをクリアする。ファー ファーはどのようにして生まれ、あの独特の世界観を見せるショーはどのように作られるのだろうか。チダさんにディレクターとしての視点やショーへのこだわり、ファッションブランドとしてのあり方などをうかがった。

昨年10月の2011年春夏のショーでは、スヌーピーが登場して話題になりました。さらに、ブラジルのアーティストYOMAR AUGUSTO(ヨマール・オーグスト)も起用し、PEANUTSとのトリプルコラボレーションでしたが、どういった経緯でこのコラボレーションが実現したのですか?

チダ:コラボレーションは、計画的にやって実現するものと、流れの中でそういう方向になっていき、結果、実現するケースとがあります。
服作りには色々な方法があると思いますが、昔は、思い描いた完成形に向かってどうやったらいいだろうとひたすら考えていた。しかし今は、作業の過程で少しずつ広げていって、最終地点に辿り着くという感じです。自分を取り巻く様々な人間やモノ、事象に影響されながら、物作りをしているんです。
スヌーピーは個人的にも昔から好きで、スヌーピーが大活躍するコミックの『ピーナッツ』とは5、6年前に別のブランドでコラボレーションするなど、ずっとお付き合いがあり、ファー ファーでも一緒にやりたいと思っていました。
60年代に大ヒットしたピーナッツの『Happiness is a Warm Puppy』(チャールズ・M・シュルツ著)という、“一家に1冊”のような本があります。日本では谷川俊太郎さんが翻訳されていますが、『ピーナッツ』のストーリーってちょっと毒があったりしますよね。それを暗示的なメッセージとして短くまとめて、イラストも入っている本です。
ブラジルのアーティスト、ヨマールはカリグラフを得意としていますが、彼が『Happiness is a Warm Puppy』にインスピレーションを受けたら、どんなカリグラフができるだろうと興味が湧いたんです。そこから完成したのが、ヨマールのカリグラフの真ん中にスヌーピーのイラストをレイアウトしたビジュアル(マントのルック)です。
このコレクションでもそうでしたが、大きなテーマが先にあるわけではなく、進めていくとその流れで様々なものが重なり合ってひとつの川になっていくような感じです。だから、ショーが始まってから“ああ、こういう形になったんだ”と自分で納得することもあります。

“流れに任せてみる”という意味では、たとえばスタッフのクリエイションに任せてみるということもありそうですね。

チダ:それはありますね。昔、僕のアシスタントをしていた女の子が辞めてしまい、彼女のアシスタントだった古橋彩をFUR(ファー ファーの前身)のデザイナーに起用したんです。古橋=FURUHASHIの頭の部分を取って“FUR”というブランド名にしたのですが、古橋は当時、まだ入社1、2年目で、専門学校時代にコンテストなどでの受賞経験もなく、どちらかというと目立つタイプの学生ではありませんでした。ただ、古橋が書く文字や話す素振りなんかを見て、何となく感じるものがあったんです。そういう部分では、僕は洞察力が鋭いのかもしれません。特に彼女の描く画のタッチに惹かれました。誰もが「上手い!」と言うような画には興味がない僕には、古橋の画は“この子は何かを持っているんじゃないか”と思わせるものでした。仕事でも長い付き合いになるのは自分と考え方や考える順番が似ていたり、未来を感じさせる人で、古橋はまさにそうでした。
FURスタート時の2006年は会社として6年目で、僕もそろそろディレクターではなく経営者としての仕事にシフトしていかないといけないなと考えていた頃で、FURを古橋のラインとしてスタートさせていこうと思った。ブランド名をFURからfur furに変えた、古橋名義のデビューコレクションは、古橋に自由に作らせて、ある程度形になったところから僕が料理したり、同時進行で足していったり、敢えてぐちゃぐちゃに物作りをしていたんです。彼女の物作りはコンセプトを考えるより先に手が動く。その積み重ねで何となく出来上がってはくるが、それではブランドとして弱い。僕はどちらかというとコンセプチュアルなタイプなので、コンセプト部分は僕が決めるようにして、5シーズン続けました。
6シーズン目(2010-11年秋冬)は、僕が見つけてきたヨーロッパの古い教会の模型をもとに、ファーファーで以前から取り組みをしていたブライダルサロンと組んで、ウェディングのイメージにまとめようとした。しかし、その時に重ね着を多用したためか、森ガールのイメージがついてしまい、森ガールのルーツのように認知され、テレビや雑誌の取材依頼がたくさんきて、少し困惑しました。古橋のクリエイションの世界観や重ね着が多いスタイルなど、森ガールとリンクする部分があったようです。知り合いのジャーナリストからは、ショーについて「すごい完成度だね」と言われたのですが、正直ちょっと複雑でした。

森ガールが良い悪いというより、当時のコレクションが時代感に完璧なまでにマッチしていたのかもしれませんね。

チダ:2010-11年秋冬のショーは、服でも演出面でも、すべてが絶妙なタイミングでつながって完成したのだと思います。音楽では、レコード会社のコロンビアが100周年ということでまさに売り出そうとしている新人バイオリニストの女の子による生演奏を入れましたが、実はうちのプレスルームで見かけて“雰囲気のある子だな”と思い、偶然僕が声をかけた子だったんです。そうしたら新人バイオリニストというから、ではショーで生演奏してもらおうと。まずは古い教会の模型があって、ブライダルサロンとの取り組みが決まり、さらにバイオリニストとの偶然の出会いがあり…と偶然が重なって完成したショーでした。

2010-11 AW コレクション

ファー ファーのショーは独特ですが、そういった経緯から作られるものなんですね。
ショーへのこだわりの強さを感じます。

チダ:語弊があるかもしれませんが、NYのショーはルックブックが歩いているようなものじゃないですか。ビジネスと作りたいものが一致しているというか、展示会にジャーナリストが行かなくてもショーで充分。でも、日本ではそういうショーを誰も期待していない。エモーショナルさやエンターテイメント性が求められる。ただ、パリのそれとはまた違っていて、東京ならではの表現というのも必要です。作り手としてはちょっとジレンマでもあるのですが、うちのショーに来る人はあまり服を見てくれないんです。もちろん展示会でしっかり見てくれる人もいますが、ジャーナリストは展示会に来ないですから。ショーをやっているブランドがビジネス的に良いかというとそうではなく、日本の場合、ショーがビジネスで生かされているかといったら難しいですよね。
前回のショー(2011年春夏)では割り切って、とにかく頭の中に印象として強く残るショーをやって、服は展示会でじっくり見てもらうシステムにした。20代からの友人でスタイリストの大森仔佑子さんにも加わってもらいました。仕事をするのは初めてでしたが、彼女の仕事の厳しさは周りから聞いていました。大森さんに、ショーに向けて僕が集めてきた資料やアイデアを見せたのですが、「チーダ(チダさん)は、考え方が男子よね」と一蹴されました(笑)。「私なら、それを女子に変えられるから」と言ってくれ、僕のアイデアに基づいてクリエイション面の全般をとても細かく構築して、一所懸命まとめてきてくれたんです。ショーの2週間ほど前、アトリエにスタッフを全員集めて、大森さんがコレクションの構想を説明した上で、ついてこれないスタッフには厳しく怒ったりして、熱心に取り組んでもらいました。でも、大森さんも、ここ5年ほどの間で一番楽しい仕事だったと言ってくれたので、良かったです。
このショーは、一度、物事を考え直す機会にもなりました。ショーでは、MDも何も考えず、一度全部壊す。でも、展示会ではちゃんとMDがあって服を見せればいいんです。

2011 SS コレクション

ショーのあり方ということを考えると、チダさんの考えるエモーショナルで頭の中に残るショーというのは、ある意味原点なのかなと思います。

チダ:一方で、やはりビジネスは大切だと思っています。ビジネスをするためにと考えた時に、色々なアイデアが浮ぶことが大きいです。20年前にデザイナーになりたかった自分を振り返ってみると、たくさんのアイデアが頭の中に浮んでいて、このアイデアをぶつけたらきっと面白いことになるだろうなと考えていた。それを今もやっているだけなんです。ただ、アイデアをぶつけても、今の時代にリンクしていないと外すわけで、デザインだけしているとそのことがわからなくなってしまうことがあると思います。

ところで、先日、初めて文化服装学院の講師をされたそうですね。

チダ:講演や対談は何度かやったことがあったのですが、講師は初めてでした。4年生のクラス51人の前で90分の講義をしたのですが、打ちのめされましたね。教室の一番後ろには『装苑』編集長の羽場由美子さんが座っていて、さらにやりにくくて(笑)。このことをtwitterで「ダメだった」とつぶやいていたら、仕事の友人や塾の講師をやっている高校時代の同級生にダメ出しされました(笑)。これはリベンジしないといけないと思っています。僕はまだまだ人前でしゃべるような人間ではないと思っているので、これまで講師のお話をいただいてもお断りしていました。今回お引き受けしたのは、引退直前の恩師の頼みだったからなんです。でも、これをきっかけに、ちゃんと教えられるようになりたい、と意欲が湧いてきました。

チダさんから見て、今の学生はどうですか?

チダ:今の時代、不景気ですが、やっと健全になったというか、学生らしくなったと思います。たとえば、アメリカだと学生はお金がなくて、クラブに遊びに行けるのも大人だけ。僕の時代は学生の頃からお金はないけど、お金が使えたので学生でも遊んでいました。今でも、日本では服を買ってくれるのは若い人ですが、そういう時代ももう終わろうとしていると思います。20年前はよく、“日本はなぜ、若い子がそんなに服を買って大人は服を買わないんだ”と言われていた。つまり、日本のファッションは“子供的”と言われていたのですが、やっと子供は服を買えない時代になった。これは健全なことで、社会に出て頑張れば服も買えるようになるし遊べるようになる、という世界基準に向かっている気がします。日本では昔から、ショーをやっても子供っぽい服しか売れないと言われてきましたが、逆に大人な服が売れる時代になると思います。

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