Motonari Ono 小野原誠
motonari ono
1981年 静岡県富士市生まれ。2002年3月、目白デザイン専門学校卒業。2003年6月、London College of Fashion Foundation(LCF)卒業後、同年9月にRoyal College of Fine Art Antwerp(アントワープ王立芸術アカデミー)に入学するが、在学中にロンドンのデザイナーBora Aksu氏に出会い中退。2004年、チーフパタンナーとして2シーズン、氏の元で経験を積み、2006年にmotonari ono設立。2010年、世界最大のファッションコンテスト「MANGO Fashion Awards」*のファイナリストに選出された。2011年3月開催の第12回JFW in Tokyo「東京コレクション・ウィーク」に参加決定。
*スペインの大手アパレル「マンゴ(MANGO)」が主催する世界最大規模のコンテスト。2年に一度開催され、昨年は3回目。
欧米のハイブランドと並んでも見劣りしないクチュール感。motonari ono(モトナリ オノ)はカジュアル主流の東京ブランドにあって、ある種特異なブランドではないだろうか。若干29歳の若きデザイナー、小野原誠さんは、学生時代からロンドン、アントワープで服作りを学び、ロンドンのメゾンで修業を積んだ後、帰国し、motonari onoを立ち上げた。”自称オタクデザイナー” の小野さんだが、自身のブランドについて「自分がかっこいいと思うものを作り続けているだけで、実はメッセージはないんです。自分のデザインの中には、ゴスロリとか高校時代のファッションが盛り上がっていた頃の影響がすごくあります」と語る。
多才で奇才な小野さんに、デビューまでのエピソードやヨーロッパと日本のファッションの価値観の違い、また3月に発表される2011-12年秋冬コレクションについて、お話をうかがった。
2011年春夏コレクションはショートムービー形式で発表されましたが、いつもよりエレガントでエロティックな印象を受けました。どのようなテーマだったのでしょうか?
小野:ミリタリークチュールです。ミリタリーというハードな面と、僕のスタイルはレースやフリルをよく使うのでロマンティックな面と、両方をひとつのコレクションで見せたいと思いました。メンズっぽいんだけどエレガント、ハードだけど優しい。
ミリタリーというテーマは、2008-09年 秋冬のデビューコレクションから2シーズン目(2009年 春夏)に、中世ヨーロッパの女性騎士をテーマにした時からあります。当時はまだ、コレクションを始めたばかりで十分に表現し切れず、不完全燃焼に終わってしまった感じがあって、自分の表現したいことを形にできるようになった今、改めてもっとクオリティを上げたミリタリーを見せようと思ったんです。
アーティストMalcolm Pate(マルコム・ペイト)を起用した、初のファッションフィルム。マルコムはロンドンをベースに活動する注目の若手フォトグラファー兼ファッションフィルムメーカーで、カナダ出身の現在24歳。
コレクションへの反応はいかがでしたか?
小野:2011年春夏より、国内では新たに日本橋三越と西武渋谷店での販売がスタートします。百貨店が新人デザイナーを応援する機運が高まっているのは嬉しいですね。西武渋谷店では、昨年8月に「クリエーターズ meet シブヤ」*で、大きくフィーチャーしていただきました。顧客の皆さんからは、今回映像配信での発表に対して、新しいことをやろうとしているという姿勢を高く評価いただいたようです。
ショーでは、モデルの人数など予算面から制限されることが多く、表現を100%発揮できないこともありますが、映像ならヘアメイクもじっくり時間をかけて、一人のモデルで完璧に作り込んだものを発表できることが魅力です。
*西武渋谷店とJFWとのコラボレーション企画で、西武のバイヤーがセレクトしたJFWクリエーターの新作ファッションや雑貨を期間限定で紹介、販売するイベント。
小野さんはなぜ、ファッションの道に進まれたのですか?そのきっかけを聞かせてください。
小野:出身は静岡県富士市で、まさに富士山の麓で育ちました。僕は今29歳ですが、高校生だった頃、日本のファッションが盛り上がっていたんです。当時はビジュアル系バンドも流行っていたのでそれを真似る人も多くて、僕だけでなく周りの人たちも皆、奇抜な格好をしていましたね(笑)。そんなファッションに勢いのある時代だったので、自然と服に興味が湧いたんです。”ブランド” というものが盛り上がっていて、バイト代はすべて服につぎ込んでいました。
高校卒業後、上京して目白デザイン専門学校に入学、卒業後はずっとロンドンにいらっしゃったんですよね?
小野:ロンドンのセント・マーチンズに入りたかったので、その前に London College of Fashion Foundation(LCF)に1年間通いました。そこは、大学に入るためのポートフォリオ制作を学ぶ学校で、現地では、高校生の頃からアートコースで学び、ファンデーションコースに進んで、大学に2、3年間通うというのが普通の流れです。
LCF卒業後、「どうやらアントワープもいいらしいぞ」という話を聞き、アントワープ王立芸術アカデミーも受けたら両方受かったので、セント・マーチンズより学費の安いアントワープに進みました(笑)。
アントワープに行ってみて、自分にはロンドンの方が良いのでは?と考え始めていた時に、LCF時代の友人にBora Aksu(ボラ・アクス)を紹介され、僕の作品を見たボラから「ぜひ、うちに来てほしい」と声をかけてもらいました。パタンナーとして入りましたが、僕の前にはmatohuのお二人がいらっしゃったそうです。やはり技術面で、日本人は信頼されているんですね。
パターンは独学ですが、ロンドンで勉強したからこそ身についたものだと思っています。日本ではわからない時、考える前に「どうやるんですか?」と聞いてしまいがちですが、ロンドンではまず「自分で思う通りにやってみろ!」という感じなんです。自分で考える力はロンドンですごく養われました。ボラのところには2シーズンいましたが、アトリエ生産のため、吸収したものが多かったですね。
2006年に帰国後、motonari ono を立ち上げられましたが、振り返ってみていかがですか?
小野:帰国直後は、まず何から始めればいいのかまったくわからず…… 個展をやってもどう人を呼べばいいのかわからなくて、『装苑』などで合同展情報を調べました。そこで、roomsにイエローブースという新人が1シーズンだけ格安で出展できる枠があることを知り、ロンドンで作った作品を出したら、roomsのエグゼクティブ・プロデューサーの佐藤美加さんから直接電話があって「一緒に面白いことやろうよ!」と。それで企画展を大々的にやっていただいたんです。とは言っても、ブランド立ち上げ直後は収入がなくて、イラストを描いて生計を立てていました。絵を描く仕事もやりたかったんです。今でも雑誌や広告などでイラストを描いています。
roomsに出たことで色々なご縁ができました。歌手の中島美嘉さんが好きで、ロンドンにいた時に中島さんのPVを見たんですが、スタイリングが渡辺康裕さんで、めちゃめちゃかっこいいと。自分のブランドを始めたら、ぜひ中島美嘉さんに着てほしいと思っていたら、運命的な出会いがあったんです! roomsで僕の作品を見たスタイリストの大森仔佑子さんが『装苑』の表紙に使ってくださり、さらにそれを見た渡辺康裕さんから電話がかかってきたんです。このご縁から、初のランウェイショーでは渡辺康裕さんにスタイリングをやっていただきました。昨年には、中島美嘉に衣装で着ていただいて、実際にお会いできたんです!他にも、有名人の方に衣装で協力させていただくことが多く、CMで平井堅さんに着ていただいたり、一昨年の紅白歌合戦では倖田來未さんの衣装を制作させていただきました。
motonari onoは靴のデザインも印象的ですね。こだわりや特別な思い入れがあるのですか?
小野:靴ではメンズっぽいレディスをやりたくて、ウィングチップやゴルフシューズのディテールを採用したり、紳士靴のテイストを取り入れています。靴は造形が好きということもありますが、服でも靴でも他のお店にないものを作りたいと思っているんです。よく「もっと普通のものないの?」と言われますが(笑)。もちろん、普通のものも作れますが、だったら他のブランドでもいいじゃんと思うんです。だから、他のお店に並んでいないようなものを作りたいと。
靴は地元静岡の工場で作っていますが、ここにも運命的な出会いがあったんです。靴に力を入れたくて、浅草などで工場を探していたのですが、どこも分業で、一人で一足を作っているところがなかったんです。色々な人に相談していた時に、中学時代の友人から知り合いの靴工場を紹介されました。すぐに訪問したら、今はふさわしい職人がいないけど、もう少し待ってくれたらイタリアで修行した職人が入ってくるからと。これをきっかけに、この工場はスポンサーにもなってくれて、ショーの資金も出してくれました。そのスポンサー契約が2シーズンで終了し、もうショーは続けられないかなと思っていた矢先に、YKKさんとのコラボレーションのお話をいただいたんです。その時に、僕の服には欠かせないリバーレースを作っていただいている栄レースさんとも出会い、今でもサポートしていただいています。
本当にすべてのタイミングが良いんです。ブランド立ち上げ当初は、展示会をやればすぐに売れると思っていましたが、現実にそういうことはなくて、徐々になんですね。人生の勉強になりました。
motonari onoは靴のデザインも印象的ですね。こだわりや特別な思い入れがあるのですか?
小野:靴ではメンズっぽいレディスをやりたくて、ウィングチップやゴルフシューズのディテールを採用したり、紳士靴のテイストを取り入れています。靴は造形が好きということもありますが、服でも靴でも他のお店にないものを作りたいと思っているんです。よく「もっと普通のものないの?」と言われますが(笑)。もちろん、普通のものも作れますが、だったら他のブランドでもいいじゃんと思うんです。だから、他のお店に並んでいないようなものを作りたいと。
靴は地元静岡の工場で作っていますが、ここにも運命的な出会いがあったんです。靴に力を入れたくて、浅草などで工場を探していたのですが、どこも分業で、一人で一足を作っているところがなかったんです。色々な人に相談していた時に、中学時代の友人から知り合いの靴工場を紹介されました。すぐに訪問したら、今はふさわしい職人がいないけど、もう少し待ってくれたらイタリアで修行した職人が入ってくるからと。これをきっかけに、この工場はスポンサーにもなってくれて、ショーの資金も出してくれました。そのスポンサー契約が2シーズンで終了し、もうショーは続けられないかなと思っていた矢先に、YKKさんとのコラボレーションのお話をいただいたんです。その時に、僕の服には欠かせないリバーレースを作っていただいている栄レースさんとも出会い、今でもサポートしていただいています。
本当にすべてのタイミングが良いんです。ブランド立ち上げ当初は、展示会をやればすぐに売れると思っていましたが、現実にそういうことはなくて、徐々になんですね。人生の勉強になりました。
小野さんは “自称オタクデザイナー” ですが(笑)、中でも好きなマンガは何ですか?
小野:その質問、よくされるんですが、本当に答えると皆さんわからないので、『ワンピース』とか『ドラゴンボール』とか『スラムダンク』って言ってます(笑)。ちゃんと答えるならば、今好きなのは『嘘喰い(うそぐい)』『銃夢(がんむ)』です。『嘘喰い』はギャンブルがテーマで、『銃夢』はファンタジーです。
マンガではありませんが、ゲームの「ファイナルファンタジー」が大好きで、キャラクターデザインを手がけられたイラストレーターの天野喜孝(あまの よしたか)さんをとても尊敬しています。同じ静岡出身で、幼い頃から地元でやっていた「天野喜孝」展によく行っていました。
先日の第11回JFWのスペシャルイベント「GUNZE BODYWILD × SNOOPY × TOKYOデザイナーズ」にも参加されましたが、今後やってみたいコラボレーションなどはありますか?
小野:チャンスがあれば、何でもやってみたいです!イラストも描けますし、そういったことも生かせるようなコラボレーションなどもしたいですね。
最後に、3月の東京コレクション・ウィークに参加されますが、差し支えない範囲で、2011-12年秋冬はどんなイメージですか?
小野:次は60年代ファッションをやろうと思っています。ピエール・カルダンのような、当時描かれていた未来、フューチャリスティックを表現したいですね。今までモノトーンが多かったので、ファンシーツイードを使ったりして色を入れ、60年代のシルエットで作りたいと思っています。