伊藤 壮一郎/髙木 佑基 Soichiro Ito / Yuki Takagi soe(ソーイ)
TOKYO FASHION AWARD 2018受賞デザイナー
伊藤壮一郎(ディレクター):
1977年、東京生まれ。‘95年高校卒業後、渡英。ロンドンに留学。‘98年帰国後、青山学院で経済史を学ぶ傍ら独自で服作りを始める。2001-2002 秋冬よりsoe(ソーイ)をスタート。2004-2005 秋冬より東京コレクションデビュー。2008-2009 秋冬よりsoe shirts(ソーイ シャツ)スタート。2013 新たなコンセプトストアM.I.U.をオープン。2015 秋冬よりsoeディレクターに就任。2015-2016 秋冬よりパリ メンズコレクションに出展。2016-2017 秋冬よりsoe WOMEN(ソーイ ウィメン)スタート。
髙木佑基(デザイナー):
1985年、埼玉生まれ。‘08年、専門学校を卒業後、ジョンソーイ入社。‘15年まで、企画生産として、伊藤のアシスタントを務める。‘15年、メンズ部門デザイナーに就任。
[ Website ] http://www.soe-tokyo.com/
[ Instagram ] https://www.instagram.com/soe_tokyo/
東京のメンズファッションを代表するブランドのひとつとして、2000年代以降のシーンを牽引してきたsoe(ソーイ)。2001年のブランド設立以来、伊藤壮一郎氏が長らくデザイナーを務めてきたが、2017年秋冬シーズンよりメンズラインのデザインを髙木佑基氏に引き継ぎ、2016年秋冬シーズンからは「ソーイ ウィメン」をスタートさせるなど、ここに来てブランドは変革期を迎えている。今後の方向性が大きく注目される中、TOKYO FASHION AWARD 2018の受賞者として、ヨーロッパでの2シーズンにわたるショールーム展示、国内でのインスタレーションを行った伊藤、髙木両氏にインタビューを行った。
2018 A/Wシーズンには、TOKYO FASHION AWARDの受賞ブランドとして、2012年以来となる東京のファッション・ウィークに参加されましたが、どのような思いでインスタレーションに臨みましたか?
伊藤: 1月にパリのショールームですでに発表していたコレクションを改めてプレゼンテーションするにあたって、東京という場所でいかに新鮮に見せられるかということを考えました。会場が渋谷ヒカリエということは決まっていたので、裏テーマに「渋カジ」を据え、パリで発表したコレクションにはなかった古着なども混ぜて、当時の渋谷の感覚を表現することを意識しました。
髙木: 久しぶりにこのような形でコレクションを発表できたことはとても新鮮でした。会社として新しい試みでしたが、かつてsoeがショーをしていた時代から所属している自分としては、懐かしさもありました。
TOKYO FASHION AWARDに応募された理由のひとつとして、新しい体制になったsoeを発信したい、ということを挙げていましたが、この変化の背景にはどんな考えがあったのですか?
伊藤: これまで僕たちは、周囲の状況に応じて変化してきたところがあり、実は今回もそんなに深く考えていたわけではありません。ブランドを続けていると、良い時期、悪い時期というのがありますが、その時々の状況に応じて、さまざまな話が浮上します。例えば、お店をつくったり、パリで発表をしたりというのは、どれも人との出会いから始まったことで、自分たちはそれに応じて流されるように動いてきました。どんな時でも、自分たちの肌感覚を大切にしているところがあり、今回の体制変更にしても同様です。メンズに関しては、以前から髙木と話しながらつくっていたこともあり、あくまでもその延長に過ぎないんです。
髙木: 僕は2008年にsoeに入りましたが、そこから人の入れ替わりはありつつも、この10年間でブランドの根本は変わっていないと感じています。体制が変わる以前から、伊藤は僕らスタッフにデザインの面で意見を求めることも多かったですし、徐々にその比重が増えていった結果、自然な流れで体制変更に至ったという形です。
新しい試みという点では、2016 A/Wシーズンからウィメンズラインもスタートしていますね。
伊藤: 僕が育ってきたのは、原宿に小さいアトリエを構える人たちからどんどんブランドが生まれていた時代で、良い意味でメンズは敷居が低いものでした。一方で、ウィメンズはファッションの専門的な知識を学んできた人たちのものという印象がありましたが、ある方から「ファッションデザイナーなら女性のための洋服をつくってみろ」と言われたことをきっかけに、ウィメンズをやってみようと考えるようになりました。まだ勉強中の段階ですが、数シーズンを経て、周囲からさまざまな意見をもらい、徐々に自分なりのバランスが見えてきました。また、髙木がメインでデザインをしているメンズのラインナップを見ながら、そこにウィメンズのイメージをつなぎ合わせていく作業も自分としては面白いと感じています。
ブランドを始めてからすでに15年以上が経っていますが、東京のファッションシーンに何か変化を感じることはありますか?
伊藤: 僕がロンドンに留学していた1990年代後半の東京は、マルタンマルジェラを着た人たちが原宿のゴローズの前に並んでいたり、あらゆる要素がミックスされていた世界的にも珍しいシーンだったと思います。あの頃の東京というのは特別な場所で、影響を受けた海外のデザイナーも多いですよね。最近仲間うちでよく話しますが、当時の先輩たちが築き上げてきた状況は、自分たちではつくれないなと。もちろん、新しい潮流も出てきていますが、まだ東京を代表するような大きな流れにはなっていないように感じています。
髙木: 僕は1985年生まれなので、1990年代の東京はほとんど経験していませんが、自分が高校生くらいの頃、よく話題に出てくるブランドのひとつがsoeでした。僕らの世代は、どちらかというと東京のブランドよりもインポートブランドへの憧れが強かったのですが、ここ最近は改めて東京のブランドの強さを感じています。
上の世代の影響力がいまだに大きい中で、今後は次世代の育成も重要になってくると思いますが、今回の体制変更にはそうした意識もありましたか?
伊藤: 最初の話に戻ってしまいますが、あまり未来のことは考えていません(笑)。大切なのは積み重ねていくことで、自分としては毎シーズン面白いことをしたいし、良い人たちと付き合っていきたい、良いお店をつくりたいという思いで続けているだけなんです。
髙木: 僕も継承していこうという意識はあまりありません(笑)。良くも悪くも、伊藤と似ているところがあるのかもしれないですね。
伊藤: 髙木も意思は強いのですが、基本的には自分と同じで、恥ずかしがり屋なんです。何かを表立って強く発信することをカッコ悪いと感じてしまう(笑)。僕自身、遊びの延長で始めたことがビジネスになったところがあるので、今後も楽しみながら面白い仕掛けをつくっていきたいと思っています。
Interview by Yuki Harada
Photography by Yohey Goto(インタビュー撮影)