山縣 良和 Yoshikazu Yamagata 「writtenafterwards(リトゥンアフターワーズ) / written by(リトゥン バイ)」デザイナー
TOKYO FASHION AWARD 2015 受賞デザイナー
2005年 セントラル・セント・マーチンズ美術学校卒業
ジョン・ガリアーノの デザインアシスタントを務めた後、帰国
インターナショナルコンペティション ITS#three Italy にて3部門受賞
2007年 リトゥンアフターワーズ設立
2008 年 東京コレクションに初参加
2009年 オランダアーネムモードビエンナーレにてオープニングファッションショーを行う
2011年 オーストラリア、オーストリアにてファッションショーを行う
2012年 日本ファッションエディターズクラブ新人賞受賞
2014年 ベーシックライン「written by」を発表
毎日ファッション大賞・特別賞を受賞
東京ファッションアワード(TFA)受賞
2015年 LVMH Prizeの選抜候補26名に、日本人初として選抜される
またファッション表現の実験、学びの場として、2008年より「ここのがっこう」を主宰
セントラル・セント・マーチンズでファッションを学んだ後、2007年にwrittenafterwards(リトゥンアフターワーズ)を立ち上げ、既存のファッションブランド、デザイナーとは一線を画す独自の活動を展開してきた山縣良和。コンセプチュアルなアプローチで毎回話題を集めるショーや、インディペンデントなファッションスクールとして数々の成果を収めている「ここのがっこう」など、コミュニケーションツールとしてのファッションの可能性を模索し続けている彼に話を聞いた。
先日、TOKYO FASHION AWARD(以下、TFA)の受賞ブランドとして、2シーズンにわたるパリのショールームでの展示と、今年3月には東京で凱旋ショーをされましたが、このタイミングにアワードに応募した動機を教えてください。
新ラインのwritten by(リトゥン バイ)を立ち上げ、販路を広げたいタイミングだったため、TFAに応募しました。今回のパリでの展示をきっかけに、パリのコレットのショーウィンドウのデザインを手がけることになり、また、新しい取引先も決まるなど非常に良い機会になりました。東京での発表についても、ショーという形でプレゼンテーションできたことで、多くの反応を得ることができました。
writtenafterwards 2015-16 A/W コレクション
パリでの反応はいかがでしたか。
やはり日本人というのはヨーロッパではアウトサイダーで、それを自覚した上で、ヨーロッパの人たちの感性とは違う部分で勝負することが必要だと感じました。今や日本人にとっても洋服は身近なものですが、重ね着や平面的な感覚など、その着方やふるまいは和服文化の延長線上にあると言えます。オートクチュールなど立体的な造形をベースにした服飾文化が主体のヨーロッパに対して、平面性や素材などのディテールという独自の視点が、日本のみならずアジアのデザイナーにとって大きな武器になると感じています。
2007年の活動開始から現在に至るまでに、何か変化は感じていますか。
最初の頃は、周囲からほとんど理解されていない感じがありましたが(笑)、時代とともにサポート、理解してくれる仲間が増えている感覚があります。自分の活動のベースには、大量生産・大量消費というシステムへの違和感があるのですが、既存のファッション業界に窮屈さを感じているような人たちに、徐々に自分たちの活動が伝わってきているように感じます。「よく分からないけど面白そう」と思われているのかもしれませんが、そうした感覚というのは、いつの時代においてもファッションに必要なものだと思っています。
リトゥンアフターワーズは、既存のファッションマーケットとは異なる立ち位置で活動を続けているように感じますが、クリエーションとビジネスの関係についてはどうお考えですか。
洋服を売ることだけがデザイナーの役割ではないと思っています。ファッションを通して人に何を与えられるのかということを最優先に考えているのですが、それを実践していくためにはお金が必要になるので、それをどう工面していくかという部分でいつも苦悩しています。ファッションの世界に、表現者として幅広い活動ができる方法がもっと色々あると良いと考えているのですが、最近は周囲からもそうした動きが徐々に出てきているのかなと。
2008年からスタートしたファッションスクール「ここのがっこう」では、海外のファッションコンテストの受賞者を多数輩出するなど、素晴らしい成果を収めていますね。
僕がファッションを学んだイギリスのセントラル・セント・マーチンズは、アレキサンダー・マックイーンやジョン・ガリアーノなどを輩出した学校で、自分の少し上の世代のデザイナーなども注目を集めていたり、ここから何かが生まれそうなワクワク感や時代のうごめきというものが感じられる場でした。そういう場が日本にもあってほしいと考えて立ち上げたのが、「ここのがっこう」です。学生の頃から、世界中の新しい才能がどんな教育をバックグラウンドにクリエーションをしているのかということに興味があり、海外の色々な学校に行って話を聞いたりしていたんですね。世界のファッションスクールの学生たちの動向をリアルタイムで追ってきた自分が、世界の中での立ち位置というものをしっかり意識できる場をつくるということは、日本の社会に対してできることのひとつなのかなと考えています。
「ここのがっこう」を続けていることで、山縣さん自身にも何かプラスになっていることはありますか。
「ここのがっこう」を通してたくさん仲間ができたし、自分がやろうとしていることを理解してくれる方も増えたように感じています。また、言語学者、建築家や哲学者など、ファッションの外側にいるさまざまな分野の人たちとのつながりもできたし、僕が伝える側に立っているからこそ、自分もしっかり学ばないといけないという意識を常に持つようになりました。もちろん、リトゥンアフターワーズの活動が止まってしまっては本末転倒なんですが、現在はこの2つの活動が両輪になっています。
今後の展望について聞かせて下さい。
リトゥンアフターワーズでは、今後も実験的なクリエーションを続けていきたいと考えていますが、新たに立ち上げたリトゥン バイに関しては、リトゥンアフターワーズともうまく連動する形で、ウエアラブルな洋服をより広い市場に届けていくということを意識しています。また、今回のパリで、リトゥンアフターワーズとリトゥン バイの間に位置するような、特別な日にドレスアップするための洋服を提案する必要性も実感したので、その辺りも強化していきたいですね。将来のプランとしては、40歳になるまでにしっかりパリでの発表を継続できる体制を整備したいので、現在はその土台作りという意識で取り組んでいます。
Interview by Yuki Harada
Photography by Yohey Goto