Interview & Report

赤坂 公三郎(KOZABURO)× 川西 遼平(LANDLORD NEW YORK)

赤坂 公三郎(KOZABURO)× 川西 遼平(LANDLORD NEW YORK) ファッションデザイナー

RakutenFWT 2020 S/S 招聘デザイナー

赤坂 公三郎(右):
「KOZABURO(コウザブロウ)」デザイナー。1984年東京生まれ。
2011年にセントラル・セント・マーチンズのファッション学部BAを、2016年にパーソンズのMFA を卒業。ニューヨークにてTHOM BROWNEのメンズデザイナーとして経験を積み,KOZABUROを設立し、2017年にはLVMH PRIZEにて特別賞を受賞。現在はニューヨーク・ブルックリンを拠点に活動中。

川西 遼平(左):
「LANDLORD NEW YORK(ランドロードニューヨーク)」デザイナー。1987年、鳥取県生まれ。
2011年、ロンドンのセントラル・セント・マーチンズ芸術大学の学士号、2015年にニューヨークのパーソンズ芸術大学にて修士号取得。
これまでに、ニューヨークMOMAで開催されたItems: Is Fashion Modern?展(2018)、The MUSEUM of ART and DESIGNでのfashion after Fashion展(2017)、デンマークのTrapholt(2015)、スウェーデンのArtipelag(2015)、オランダでMode Biennale(2013)、ロンドンのSomerset House(2012)、などRyohei Kawanishi名義での作品が世界各国の美術館、ギャラリーで展示されてきた。
2015年ニューヨークを拠点とする、メンズファッションブランドのLANDLORDを立ち上げる。

KOZABURO(コウザブロウ)LANDLORD NEW YORK(ランドロードニューヨーク)というニューヨークを拠点に活動する2つのブランドが、JFWの招聘により、Rakuten Fashion Week TOKYO 2020 S/Sで合同ショーを行った。ほぼ同時期にロンドンのセントラル・セント・マーチンズ、ニューヨークのパーソンズでファッションを学び、ニュー ヨークで自らのブランドを立ち上げるという非常に近い経歴を持つ赤坂公三郎氏と川西遼平氏の2人に、これまでに歩んできた道のりや、合同ショーの舞台裏などを語ってもらった。

お二人がファッションデザイナーを志すようになったのはいつ頃からですか?

赤坂: もともと僕は音楽が好きでバンドをしていましたが、自分には音楽の才能がないと感じ、音楽とも密接な関係があったファッションに表現の可能性を見出すようになりました。大学では哲学を専攻していましたが、服飾を学ぶために中退し、セントラル・セント・マーチンズに入りました。

川西: 僕は中学生の頃からファッションが好きでしたが、将来はアートの世界に進みたいと考えていました。でも、美大受験にすべて落ちてしまい、浪人をするくらいなら・・・という気持ちで受験したセント・マーチンズに合格し、イギリスに留学することになりました。

お二人ともセント・マーチンズを卒業後、パーソンズの大学院に進んでいますが、当時から面識はあったのですか?

赤坂: はい。セント・マーチンズでは僕が1年早く入学しましたが、最終学年の1年前に休学ができるギャップイヤーという制度を使ってニューヨークのトム・ブラウンでインターンをしたので、卒業は同じ年になりました。その後、トム・ブラウンで2年ほど働いてからパーソンズの大学院に進み、そこでまた遼平と一緒になりました。

川西: セント・マーチンズの時からお互い存在は知っていましたが、特に仲が良かったわけではなかったんですよ。僕はギャップイヤーを取らなかったので最終学年で一緒になりましたが、当時彼は全身トム・ブラウンで固めていて、なんか鼻につくやつがいるなと思っていました(笑)。しかも、その格好でスケボーに乗っていて、それ、どういうアティテュードなの? と(笑)。

ご自身のブランドを立ち上げるまでの経緯もお聞かせください。

赤坂: パーソンズ時代から一部のお店で自分がつくった洋服を置いてもらっていましたが、卒業してからは少し時間が欲しいと思い、しばらくヴィンテージショップで働いていました。そのうちに創作意欲が高まってきて、改めて自分のブランドを始めることにしました。

川西: もともとファッションを自分の表現として考えていたので、ブランドを立ち上げて洋服を売るという感覚があまりなかったんです。でも、学生最後の年に子どもが生まれ、しっかり仕事をしないといけないという時に、今のビジネスパートナーである工場の社長が声をかけてくれ、ブランドを立ち上げることになりました。

活動拠点としてニューヨークを選んだのも自然な流れだったのですか?

川西: もともとアメリカやニューヨークへの憧れが皆無だったので(笑)、たまたま応援をしてくれる人がニューヨークにいたということに尽きます。ただ、実際に活動を始めてみると環境は良いですね。例えば、ヨーロッパには人種や社会階級を背景にしたヒエラルキーがあって、それをベースに色々なことが判断される側面がありますが、アメリカは面白いもの、お金が生み出せるものなら何でもOKというわかりやすさがあるんです。

赤坂: 僕はむしろ逆で、アメリカのことは好きでした。ジーンズやワークウエアなどへの興味も強かったですし、国としての歴史が浅いにもかかわらず、色々なことが起こっているところなども面白いと思っていました。また、僕の妻がまた別の国の出身だったこともあり、お互いに外国人というニュートラルな立場で、自分たちが好きな場所で暮らしたいという考えもありました。

川西: ニューヨークの人たちはブランドの背景など細かいことはあまり気にせず、作ったものを感覚的に評価する人が多いんですね。ランドロードは、なんでもスポンジのように受け入れ、かつ良い意味での軽さがあるニューヨークらしさを表現しているところがあります。

赤坂: 僕は遼平のように器用ではないので、あくまでも自分が見てきたものやその時の気分などをベースにした個人的な服づくりしかできないのですが、最近はアメリカの色々な州を車で旅して、そこから得たインスピレーションを自分のコレクションに反映させるようなことはしています。

対照的とも言えるお二人が、今回東京で合同ショーをすることになった経緯をお聞かせください。

川西: 最初に声をかけていただいた時点では、別々にショーをするという話でした。ただ、スケジュールが非常にタイトで、予算の都合上、ニューヨークでショーをしてきたチームを連れてくることも難しい状況の中、ショーのクオリティを担保するためには合同ショーの方が良いと思ったんです。東京のファッション・ウィークを盛り上げたいという思いはあったので、できることはやりたいと思っていましたが、いざ蓋を開けてみると想像以上に大変でしたね(笑)。

赤坂: 僕も色々不安はありましたが、こういう機会でもないと東京でショーをすることはないだろうと思っていました。また、徐々にブランドに興味を持ってくれる人たちが増えているとは言え、お店などではコレクションの一部しか見てもらえないこともあり、ブランドの全体像をプレゼンテーションする良いタイミングだとも感じました。あと、東京でショーをすることで家族はもちろん、工場やサプライヤーさんにも見てもらえることには意味があると思っていました。

個性が異なるブランド同士が合同でショーをするという点については、どのように考えましたか?

川西: ニューヨークを拠点に活動をしている日本人という自分たちの境遇を象徴するような題材を探していきました。その中で、戦後アメリカの文化や経済に大きく影響を受けた日本人のイデオロギーを扱った映画『凶気の桜』を軸に、演出などを考えていくことになりました。

赤坂: ブランドの洋服やデザイナーの性格が対照的な二人が東京で混じり合うということを意識し、全体として日本の精神性や東京のカルチャーを感じさせながら、「動」の部分をランドロードが、「静」の部分をコウザブロウがそれぞれ表現していく形になりました。

KOZABURO 2020 S/S Collection

ショー全体のテーマも、「THE GREAT CITY TOKYO」というストレートなものでしたね。

赤坂: 東京のファッションの感性というのは、他の都市よりもはるかに敏感ですし、ファッションにおける特別な街なんじゃないかと思うんですね。東京にいるとあまりそれに気づかずに海外を目指しがちですが、この場所でできることももっとたくさんあるはずだということを伝えられればと考えていました。

川西: 僕は田舎の出身なので、若い頃は、90年代の原宿でよく見られた奇抜なファッションをはじめ、雑誌の中の世界が自分にとっての「東京」で、そこに憧れを抱いていました。今こそ、当時のスタイルがフレッシュに見えるのではないかと思っていたので、90年代の原宿カルチャーを自分なりに再解釈したコレクションを発表しました。

LANDLORD NEW YORK 2020 S/S Collection

今回の合同ショーを通して、お互いの仕事ぶりについてはどのように感じましたか?

赤坂: 僕は性格上、何かに集中すると周りが見えなくなってしまうところがあるんですね。今回もサポートしてくれている人たちのことが見えなくなってしまうようなことがあったのですが、一方で遼平は周りに気が配れる人間なんです。そうした部分も含め、今回彼と一緒にやったことで色々勉強になることがありました。

川西: ショーの後などは、みんな彼とばかり写真を撮りたがるので、ずっと嫉妬していました(笑)。それは冗談として、僕は逆に周囲との連動性をどうしても考えてしまって、ある意味器用貧乏なんですね。だから、不器用なまでに自分の世界観を突き詰めていける彼を羨ましいなと思って見ていましたね。

最後に、今後のブランドの展望や日本での展開などについてお聞かせください。

川西: 東京でもまたチャンスがあればショーをしてみたいなと思いますが、毎回のことだと飽きられるだろうし、たまにくらいがいいのかなと(笑)。ブランドとしては、お客さんの数を増やして売上を高めていくことにそこまで興味がないので、赤字にならない範囲で自分がやりたいことを続けていけたらと思っています。

赤坂: 僕も基本的には同じですね。自分は日本で服づくりをしていることもあってか、今は国内での展開が比重としては大きいのですが、あまり場所は意識せず、自分がこれまでに見てきたもの、感じてきたことをカタチにして、それに興味を持ってくれる人たちにしっかり届けていければ良いなと思っています。

Interview by Yuki Harada
Photography by Yohey Goto(インタビュー撮影)

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