美津菱足袋 MITSUBISHI introduced by JOTARO SAITO
THIS IS MY PARTNER vol.2
国内有数の足袋の産地である徳島県鳴門市。この地で、伝統的なものづくりに魂を込めてきた美津菱足袋は創業60周年を迎える。揺るぎない技術をもとに作られるこだわりの足袋は世界中に多くのファンを持つ。
美津菱足袋株式会社
徳島県鳴門市/創業:1955年
事業内容:綿、合繊各種足袋の製造、販売/従業員数:40名
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育まれてきた伝統と技術
美津菱足袋をパートナーとして紹介したJOTARO SAITOは、着物の文化やその魅力を、現代のライフスタイルに合うファッションとして提案してきた。JOTARO SAITOの足袋は、迷彩柄やレースなどを自在に使い、従来の足袋のイメージを一新する華やかさを持っている。
「着物はまさにストリートファッション。だから、現代の人にももっと着物を選んでもらいたい」と話す斉藤上太郎氏の言葉から、新しいキモノを提案し続ける想いの強さを感じる。
そんなJOTARO SAITOのオリジナル足袋の生産は、美津菱足袋が13年間続けて担当してきた。「斉藤さんの目指している、伝統と革新を融合して新しいキモノを提案しようとするコンセプトに、非常に共感しています」と話すのは取り組み当初からの担当者である、美津菱足袋株式会社 代表取締役専務の廣瀬氏。
「世界一の製品を、世界一のスピードで作る」という美津菱足袋のモットーを裏付けるように、工場では熟練の職人たちがミシンのペダルを間断なく小刻みに踏んでいる。自社工場内には足袋用の特殊ミシンなどが計60台あり、工場内に響くミシンの音が心地良い。
一見フラットでシンプルに見える足袋の縫製だが、13もの工程に分けられる。「当社では、耐久性を増すためにステッチを一周多くするなど、他社では省略されるような工程にも手間をかけることを惜しみません。工程の一つひとつにこだわりをもち、履き心地と製品の美しさを追求しています」と語る廣瀬氏の言葉には、創業以来変わらない美津菱足袋のものづくりの精神がうかがえる。このこだわりの生産工程は、取引先の満足に対する美津菱足袋の真摯な姿勢と、職人一人ひとりのものづくりにかける情熱の集大成のようなものだ。
年間約60万足もの足袋の生産量を誇る美津菱足袋だが、社内にパタンナーがいて、一足のオーダーに対して型紙づくりと裁断を手作業で行うことで、一足からのオリジナルの柄と型の生産を可能にしている。
「大量に生産した方が効率は良いかもしれません。しかし、お客さまが望むなら、たとえ一足でも作るのがメーカーの務めだと考えますし、それが我々の矜持です」と言う廣瀬氏と重なる工場の風景が、その言葉を強調する。
効率よりも大切にしてきた伝統は脈々と受け継がれており、工場には技術の担い手である若い職人の姿も多い。従業員のほとんどは地元鳴門の出身で、新入社員はできるだけ地元から採用して地元に貢献していきたいと話す。
美津菱足袋は地域に根ざし、伝統を美しく守りつつも、業界初のストレッチ性や防水性のある素材を使用した足袋といった新しい商品開発も行ってきた。
「シーズン毎に新たな生地で生産に応えてくれる足袋の縫製工場はなかなかありません。今回も難しい素材をお願いしています」と話すのは秋冬コレクションの発表を控え、素材を工場に届けたばかりの斉藤氏。
今季も美津菱足袋とJOTARO SAITOの融合で、世界から注目されるキモノスタイルが生まれる。
Interview&Text:Shinya Miyaura (Secori Gallery)
Photography:Yohey Goto